女神の塔(十六)

 黒雲が渦巻き、さらに激しい風雨が打ちつける。巨塔を震わせる雷鳴が次第に近づいてくる。頭から爪先まで滝のような雨に打たれる私に対して、ミオさんに一粒の飛沫しぶきも当たっていないように見えるのは気のせいか、それとも運命の女神の依怙贔屓えこひいきか。


「さあ!運命に逆らいし愚者に天の裁きを!」


 ミオさんは芝居がかった動作で天に両手を掲げた。


 私に化粧や服飾を教えてくれた頃のミオさんは内側から輝くような魅力に溢れていた、決してこのような所作をするような人ではなかった。力に魅入られて自分を見失ってしまったのだろうか。




「人から奪った幸運に、道具に頼ってきた貴女あなたが、今度は運命の女神気取りですか!?」


「もういいわ、理想ばかり掲げて現実を見ない愚かな女。私には全てを手に入れる権利がある、この結果は必然よ」


 違う、この人がしている事はただの逆恨みだ。あのフレッソ・カーシュナーと同じく、不幸な身の上を言い訳にして人を見下し、しいたげているだけだ。




 ずぶ濡れの髪を一振り、私は親友から授かった細月刀セレーネを天に掲げた。


「運命の女神アネシュカ!あなたは人族ヒューメル一人一人に興味なんて無いかもしれない。でも無垢なる魂を代償に、私欲におぼれる者に力を貸すなら!」



 雷霆らいていが私の隣に立つ石像を打った。衝撃が巨塔を揺らし視界が白く染まる。


「私はあなたを神とは呼ばない!」



 一層激しい風雨は偶然なのか、それとも罵倒された女神の怒りなのか。


「生命の根源たる水の精霊、来たりて形を成せ!【色彩球カラーボール】!」



 虚空に生み出した色とりどりの球体を足場に宙を駆け、ミオさんに迫る。豪雨に視界をさえぎられ、足を滑らせて転落しかけるところに新たな【色彩球カラーボール】を作り出して姿勢を立て直す。再び均衡を崩して突風にあおられても無様に踏み出す。あと五歩、あと三歩、あと一歩。


「往生際の悪いこと!」


 ミオさんの細剣レイピアが突き出される。だがこの不安定な足場で避けられるものではない、剣で弾いたところで姿勢を崩して転落するだけだ。


「うっ……」


 胸の前に掲げた左腕を犠牲にしてそれを受け止める。頭の芯まで響く衝撃、耐え難い激痛に歯を食いしばって剣先を突き出す。この人のせいで、『女神の涙』などという物のせいで運命を捻じ曲げられた人々に比べれば、こんな痛みなど。


「……こんなもの!」


 細月刀セレーネの切先が宝玉を割り砕き、その所有者の胸に突き立ったのと、激しい雷霆らいていがミオさんを撃ったのは同時だった。最後の最後で運命の女神はこの人を見限ったのだろうか。




 ゆっくりと剣を引き抜く。あれほどの豪雨にも濡れることのなかった純白の神官衣を深紅の血が染めていく。


「ふふ……欲深い愚者に相応ふさわしい最期だわ」


 その場に倒れることを拒否するように、後ろ向きにゆっくりと歩を進めるミオさん。やがて塔の端に達した彼女は仰向けに宙に身を躍らせた。


「待って、ミオさん!【落下制御フォーリングコントロール】!」


 今さらこの人を助けようと思ったのは、やはり割り切れない思いがあったからなのか。物体の落下を食い止める魔術を発現させ、塔の端から一杯に右手を伸ばす。


「余計な事をしないで。他人の死を汚すなんて傲慢だわ」


 だが。魔術は拒絶され、伸ばした手は掴まれることなく、ミオさんは雲の底に吸い込まれていった。




 あれほど激しく降り注いでいた雨がいつの間にかんでいた。


 不自然なほどに渦巻いていた雲の隙間から光の柱が覗く。


 それに照らし出された石像の群れが本来の色を取り戻し、人の群れに変わっていく。


「あれえ?リラ、どうしたんだろう?うわあ、きれいなそら!」


 無邪気な声に顔を上げる。雲間から差し込む光が女神からの謝罪のように見えたのは、私の勝手な思い込みだろうか。

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