女神の塔(十四)

 巨塔を揺るがす振動に構わず階段を駆け上がる。あのラミカのこと、何があろうと心配はいらないはずだ。


 鼓動が早鐘のように鳴る、呼吸が乱れる。カチュアと競った五百段の石階段を思い出す。だがこれは高いだけで何の役にも立っていない、階段の他には何の部屋も施設も無く、ただ頂上に向かっているだけなのだから。

 これほど高い建造物が本当に必要だろうか。ただ世界の全てを見下すため、そのためだけに造られたように思えてくる。


 灰色の空が覗く。風が流れてくる。ようやく階段が尽きるまで駆け上がると、強風が髪をはためかせた。


 眼下にはどこまでも続く大樹海、傷跡のように刻まれた大河、万年雪の山々。人の姿など砂粒ほどにも見えはしない、『この世界の隅々まで見届ける』という私の夢の一つはこんな所で実現してしまったが、余韻に浸る余裕など無い。




「遅かったのね、ユイ。わざわざご苦労様」


「ミオさん……」


「あれえ?おねえさん、どうしたの?」


 直径三十歩ほどの頂上には腰の高さまでの胸壁、いくつもの石像、それから目的の二人。ミオさんは無邪気に手を振るリラちゃんの肩に手を置き、胸元に光る首飾りを掲げた。


「運命をつかさどりし女神アネシュカ、今ここに無垢なる魂を捧げん。我ら敬虔けいけんなる信徒に僥倖ぎょうこうを。人々がうらやむ幸運の果実を!」


「ミオさん、待って!」


 駆け出そうとした瞬間、にわかに巻いた突風にはばまれた。ミオさんの手の中で『女神の涙』が曇天を映して鈍く光る。


「あれ?なんかおかしいよ?リラのあし、うごかない!」


「怖がる必要はないわ。女神様のもとへ旅立ったのよ」


「そうなの?リラががまんしたら、みんなしあわせになるんだよね?ね、そうだよね?」


「そうよ。光栄に思いなさい」


「リラちゃん!遅くなってごめん、助けに来たよ。女神様のもとに行く必要なんてないの!」


 一足遅れて駆け寄ったものの、リラちゃんの体は足元から徐々に硬く冷たい石に変わっていく。それは膝から腰、胸へと這い上がり、握った手も次第に温かさを失っていった。


「リラね、こわくないよ。だって、みーんなしあわせになるんだよ。おなかいっぱいごはんたべてね、たくさんあそんでね、それからね……」


 リラちゃんは最後まで言葉を続けることはできなかった。私の目の前で物言わぬ石像になってしまったから。

 同時にミオさんの握る『女神の涙』が強く輝き、その光は無数の欠片となって塔の下へ降り注いでいった。




「ミオさん、これが貴女あなたのやりたかった事ですか。富める者からは富を奪い、貧しい者からは全てを奪って分け与える……」


「そうよ。国だの神だのなんて、大抵そういうものでしょう?」


「否定しません。でもこれ以上誰かが不幸になるのは見過ごせません。だからここで終わらせます、全部」


「いい覚悟ね。言葉に実力が伴えばもっと良かったけれど」


 もはや互いに説得は無意味だと承知している。ただ決着の前に思いを言葉にしたかっただけだ。




 私が左腰から細月刀セレーネを、ミオさんが右腰から細剣レイピアを抜き放つ。


 それで一つわかったことがある。ミオさんは他者の幸運を奪い、運命を捻じ曲げるほどの豪運を手に入れたが、それは無制限のものではない。もしそうであれば剣を抜く必要もなく私を葬ることができるはずだ。


 ならば私は、これまで自分が積み上げてきたものを信じる。不運、不幸、不遇、私はその全てに打ちってきた。人智を超えた力であろうと、恐れるべき何物も無い。

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