女神の塔(七)

『女神の塔』と名付けられた白亜の巨塔、その地下牢。


 だがその名称とは裏腹に、柔らかい寝台に温かい毛布、間仕切りのカーテンまで備え付けられている。冷たく湿った生家の部屋よりもよほど快適な空間と言えるだろう。ただ窓と扉に取り付けられた鉄格子と鍵が、今の私の身分を表している。


 通路を挟んだ向かいの部屋からしきりにリラちゃんが話しかけてくる。その表情と声から曇りは感じられず、とらわれの身であるという自覚はおそらく無いのだろう。


「リラね、あした、とうのちょうじょうで、めがみさまに『こーうん』をささげるんだよ!すごいでしょ!」


「そうなの?リラちゃんはどうなるの?」


「アネシュカさまにささげられる?んだって。でも、みんながしあわせになるから、リラもしあわせなの!だからみーんなしあわせ!」




 人の気配が近づいてきた。軽い足音とスープの匂いを察したのだろう、リラちゃんがその場でくるくると回りだし、不思議な踊りを披露した。


「やったあ!じゃがいものスープだ!リラしあわせ!」


「うるさい、ちょっと黙れ」


 機嫌悪そうに食事を運んできたのはエリューゼ。白地に銀の装飾が施された外套ローブ、腰帯に差された短杖スタッフ、『幸運の魔女』という通り名にふさわしい華麗なで立ちだ。




「……アンタ、まだいたの?」


「それはそうだよ。この通りだもの」


 私は両手にめられた手枷てかせを掲げてみせたが、エリューゼは鼻を鳴らしただけだった。


「そんなもん魔術師に通じるわけないでしょ。アタシを子供扱いすんのはやめて」


 それはそうだ。この子は魔術の天才である前に鋭い子で、蛇女ラミア討伐の際も私とロット君が本当の兄妹ではないことを一目で言い当てたものだ。


「ごめん。エリューゼとお話がしたかったんだ」


「……何を今さら」


「ねえ、エリューゼはどうしてここにいるの?ミオさんとはいつ知り合ったの?」


 私の問いに、エリューゼは直接答えなかった。


「……アンタ嘘つきだよね、アタシはすごい魔術師になれるとか言ってさ。結局放ったらかしで、全然助けてくれなくて。学校にいた時もそれからも、ずっと辛かった。魔術の才能はあっても誰からも認められなかった。アンタこそ今さら何しに来たのさ」


「エリューゼ……」




 この子を魔術学校に送り届けてから、何度も手紙を書いた。調べ物をするときに立ち寄った。同期生のルカちゃんに彼女のことをお願いした。決して何もしなかった訳ではない。

 でも……ただそれだけだ。エリューゼから話を聞いたり、同じ時を過ごしたり、将来の夢を語ったりしたことは無い。ごみの山から救い出された彼女は、今度は何も無い、誰もいない世界に置き去りにされたのだ。


「ミオさんはわかってくれた!辛かったね、頑張ったねって言ってくれた!アタシのこと見下みくだしてきた奴らに思い知らせてやろう、今までの人生を取り返そうって言った!綺麗事ばっかりのアンタとは違う!」


「ごめん、エリューゼ。でもね……」


「そうやってごまかして、子供扱いして、上辺うわべだけ取りつくろって。結局アンタも私のこと見下みくだしてんでしょ!」


 言葉が胸に刺さる、エリューゼの言う通りだ。私は自分が生きること、目の前の人を助けるのに精一杯で、その後の事まで考えることはできなかった。傷ついたこの子に寄り添うことをしなかった。だからこうしてエリューゼは私に背を向けている。


「エリューゼ、聞いて。私が戻らなければ本国から軍隊が動員されることになるの、その前にここを出よう。私と一緒に……」


「アンタと帰る場所なんて無い。アタシはミオさんに仕える『幸運の魔女』。今までの人生、魔術と幸運で全部取り返してやる」


 小さな天才魔術師が純白のローブをひるがえすと地下牢に一陣の風が吹き抜け、後には何も残らなかった。




 小さく溜息をつく。また私はあの子に嘘をついてしまった。

 大人しくここにとらわれているのは、想定の範囲の出来事だったからだ。

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