女神の塔(五)

 元巡見士ルティア、ミオ・フェブラリー。


 彼女はエリューゼと同じく、王都フルートの貧民街で生まれ育った。ごみの山を漁り、泥水をすすり、僅かな食料を奪い合い、この世界に生まれ落ちた不幸を呪いつつ幼い日々を過ごしたという。




「私はこの通り容姿に恵まれていたわ。それは幸運なこと、人生の成功を約束するもの、大抵の人はそう思うわよね。でも底辺では違うということ、貴女あなたならわかるでしょう?それは『奪われるものがある』ことを意味するの」


 彼女は文字通り、恵まれているものを奪われた。奪った者は貧民街の少年達であったり、通りがかりの男であったり、時には実の父親だったりしたという。


「それでも私はまだ良かった。双子の妹は十四歳のとき性病で亡くなったわ。『お姉ちゃんは私の分まで幸せになってね』と言って」


 表情からも口調からも、白磁のカップに注がれた蜂蜜酒ミードを口に運ぶ所作からも感情は読み取れない。ただ美しい、精巧に作られた人形のようだ。


「私と妹の差は何?同じ日に生まれて、同じように育って、同じようにしいたげられて、奪われて。もうそれは『運』とか『運命』と呼ぶしかないものよね。馬鹿馬鹿しい、そんなもののせいで未来を絶たれるなんて。何一つ良いことが無いまま苦しんで死んでいくなんて」


「……」


ミオさんは誰に話しかけているのだろう、少なくともその瞳に私は映っていない。


「運命をつかさどる女神?ふざけた存在よね、人の運命を思うままに操るなんて。貴女あなたはどう?運命の女神とやらに恨みは無い?人を小馬鹿にしたこのくだらない道具で、今までの不幸を取り返したいとは思わない?」


 白く繊細な指が胸の宝玉をなぞる。乙女の涙のように透明なはずのそれは、蠱惑的こわくてきな七色の光を宿しているようにも見える。




「私は……」


 確かに私は自分のい立ちを幸薄いものと思っているが、これまでの半生をまわしいものだとは思っていない。可能な限り努力を重ね、大切な人達に助けられて今がある、それを誇りに思っている。


 無意識のうちに視線を落とした。左手の小指に真銀ミスリルの指輪が鈍く光っている。


 フェリオさんからこれを頂いたとき、彼は言った。「力を持つ者は、それを使うときはよく考えなければならない。魔術でも、武術でも、権力でも。君なら正しく力を使えると思う」と。この人は、ミオさんは力の使い方を誤っている。




「私はそうは思いません。人から何かを奪えば、その人が不幸になるだけです。自分が力を得たなら人のためにそれを使う、助けてもらったなら感謝して少しだけ大きくして返す、本当に強ければそれができるはずです」


「ふふ、本当に良い子ちゃんね。分からせてあげたくなっちゃう」


「何をですか」


「ユイ。貴女あなた、私より強いつもりでしょう」


「……武力のことであれば、その通りです」


「いざとなれば私を斬り捨てられる、最悪の場合でも魔術で逃げることができる。だから一人で乗り込んで来たんでしょう?」


「……ええ」


「いいわ、その勘違いを正してあげる。貴女あなたが勝てば王都で裁判を受けると約束するわ」


 私は判断に迷った。ミオさんが武勇に優れているとは聞いたことがない、むしろ騎士階級として最低限の武術を修めているだけと思っていた。

 逆に自分をかえりみれば、数え切れぬほどの妖魔を斬り、幾多の死闘を生き残り、数人がかりとはいえ当代最強と名高い『剛勇無双』メドルーサをほうむった。剣術だけに限ってもエルトリア騎士どろこか帝国上級騎士に劣らないと自負している。それをミオさんが知らないはずはない、なのに何故?


「ああ、この子には手出しさせないわ。心配しないで」


 先程から一言も発しないエリューゼ、表情からは何も読み取れない。彼女がなぜアネシュカ教団に入ったのか、ミオさんとの関係はどうなのか。気になるところは多々あるけれど、今それを尋ねる機会は無さそうだ。


「……わかりました」


 柔らかい客椅子から立ち上がり、左手で腰の細月刀セレーネを確かめる。

 これがある限り私が敗れることは無い、そう思っていた。

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