女神の塔(二)

 サントアエラ。エルトリア王国の北西部にて中心的な役割を果たす地方都市。

 人口は約五万、辺境の都市としてはかなり大きな部類に入る。


 この町のみならず一帯を支配するアネシュカ教団。その最高幹部となったミオ・フェブラリー、魔術師エリューゼと面識がある私は、彼女らと面会して真意を問うという任務を与えられた。


 実は他にも複数の巡見士ルティアと諜報員が潜入しているのだが、基本的に連絡を取り合うことは無い。アネシュカ教団は強大になるにつれエルトリア王国の関与を拒むようになっており、もはや敵地と言って差しつかえないほどだから。




 この危険な任務にあって、護衛はただ一人。


「ちょっと、ほっぺにクリームついてるよ」


「うん。甘いものは基本だからねー」


「人の話はちゃんと聞きなさい」


「いたたたた!聞いてる聞いてる!チョコバナナあげるからやめて!」


 後ろでクレープとチョコバナナを交互に頬張る護衛の名前はラミカ、私が最も信頼する魔術師……と言うと調子に乗るので、本人には黙っていようと思う。




『運命の女神』アネシュカ様をまつる教団は常々地道な布教活動に終始していたはずだが、数年前から急速に勢力を拡大し始め、この王国北西部一帯を完全に飲み込んでしまった。


 これにはいくつかの事情が重なり合う。所有者に並外れた幸運をもたらす宝玉『女神の涙』を元巡見士ルティアミオ・フェブラリーが手にしたこと、エルトリア王国がハバキア帝国の侵攻を受けて存亡の危機にあったこと、王国北西部は人跡未踏の地が多く明確な国境が定められていないこと。


 それらのどこまでが『女神の涙』がもたらした偶然かの判断はつかないが、ともかくミオさんが自身と宝玉の力を背景に教団内で地位を高め、時節を味方につけ様々に策を巡らせ、勢力の拡大を主導してきたことは間違いないようだ。




「ねーユイちゃん、あれ何だろ?」


 ラミカが指差したのは、郊外にそびえる雲をくような巨塔。その頂上から無数の光の欠片が降り注ぎ、地上に届くと歓声が上がったようだ。

 国内外を巡り様々な体験をしてきた私でもこのような光景を見たことはない。情報も無しに考えても仕方がないので、塔に向けて祈りを捧げているお婆さんに尋ねてみることにした。


「今の光かい?アネシュカ様の恩寵おんちょうだよ。貧しい者は幸運を差し出して富を受け取り、富める者は富を差し出して幸運を受け取るのさ。幸運が欲しいならあんた達も喜捨をするといいよ」


「幸運を差し出す……?」


 言葉の意味がわからずに首をひねると、骨と皮ばかりのお婆さんは私達の無知に同情するかのように教えてくれた。


 あの『女神の塔』では十日に一度、信徒に幸運を分け与える儀式が行われるという。貧者の中から選ばれた者が塔の頂上で女神に自らの幸運を捧げ、それは多額の喜捨をした者ほど多く分け与えられる。

 この世ならぬほど美しいミオ様という神官がこの儀式を始めたところ、幸運という言葉でしか説明がつかない成功者が相次ぎ、感謝した者が再び塔を訪れるようになった。こうして『女神の塔』は聖地とあがめられ、多くの者が集う地となった……




「なんだか胡散臭うさんくさいねー」


 ラミカの独語はごく小さな声だったが、敏感で周りがよく見えるはずの彼女にしては軽率だったかもしれない。今まで穏やかそうに見えた老女が目を血走らせ、今にも折れそうな指を突き出して面罵めんばしたのだ。


「女神様を疑うなんてとんでもない!この不信心者!」


 その恐ろしげな表情と声に呆然としているうち幾人もの市民が集まり、非難の輪に加わってきた。


「なんて罰当ばちあたりな!」


「女神様のお怒りがくだされるぞ!」


「不信心者はこいつらか!」


 数は少ないものの一様に目を血走らせ、つばを飛ばして怒鳴り散らす姿は異様としか言いようがない。

 まずいな、と思ったのは恐怖のためでなく任務に支障をきたすと考えてのことだったが、意外なところから救いの手が現れた。


「おねえさんをいじめちゃだめだよ!アネシュカさまも、みんななかよくしたほうがうれしいよ!」


 年の頃は十歳を少し過ぎたくらいだろうか。薄汚れた顔の中で大きな瞳だけが輝き、純白であったはずの神官衣は土に汚れて手足も泥まみれ。だが見すぼらしい身なりをしていても中から溢れる純粋さを隠しきれない、そんな印象の女の子が私達の前で両手を広げている。


 無垢な少女の勇気に気圧けおされたのだろうか、人々は一人また一人と気まずそうに去っていった。




「助けてくれてありがとう。あなた、お名前は?」


「リラ!なかなおりできて、よかったね!」

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