第六章 女神の塔

女神の塔(一)

 エルトリア王宮の敷地内にある士官用宿舎、その二階の一室。

 王国中央部の治安に関する報告書をまとめていた私は、窓から差し込むうららかな春の陽射しの中で背伸びをした。


 昨年のハバキア帝国の侵攻により受けた被害は大きかったが、国土の復旧はおおむね順調に進んでいる。地方都市や辺境部に対する支援が遅れがちである、帰還兵の一部が野盗と化して治安が悪化しているといった問題はあるものの、それらも徐々に改善しつつある。




「よし、これなら出席できるかなぁ」


 私は引き出しを開け、精緻な装飾が施された封書を取り出した。それにはハバキア帝国ユーロ侯爵家の印璽いんじが押されている。


 中には結婚式の招待状。あのカチュアが結婚するというのだ。

 無二の親友の晴れ舞台だ。ここのところ仕事も落ち着いてきたし、おそらく出席できるだろう。




「……結婚かぁ」


 窓を開け放つ。柔らかな風がカーテンを揺らす。遠くフルートの街並みを見渡すと、広場の芝生の上で遊ぶ親子連れが目に入った。

 手をつないで駆け回る姉妹、追いかける男の子、微笑ましく見守る若い夫婦。彼女もこのように人の親になるのだろうか。


「……あのカチュアがねえ」


 軍学校で多くの時を共に過ごしたカチュア。試合で雌雄を決したカチュア。敵味方に分かれ命を削り合ったカチュア。彼女が家庭に入り子育てをするなど想像もできない。




 私はどうなのだろう?

 希望通りに巡見士ルティアになり、広いこの世界を巡るという夢も実現しつつある。充実した生を送っているという自負もある。

 この世界に生を受けて二十余年。すっかり以前の記憶は薄れ、一人の女性として恋もしたし、異性から好意を寄せられることもあった。でもどこか割り切れない気持ちがあるのは、何かやり残したことがあるのではないかという思いからだ。


 それに……実は怖いような気もする。


 今の両親は尊敬しているし家族も愛しているけれど、それまでは親といえば嫌悪と恐怖の対象であり、家族といえば自分を縛る足枷あしかせでしかなかった。そのような自分が人の親になり、人並みの家庭を築けるものだろうか。


 少し早くカチュアの元を訪れて、そのあたりの話も聞いてもらおうか。結婚を控えた今の気持ちも聞いてみたい。そう思って出席する旨を伝える返書を書き始めたのだが、結論から言うとそれは叶わなかった。この日の午後、私にとって無視できないしらせがもたらされたからだ。




 エルトリア北西部辺境にて運命の女神アネシュカを信奉する者が集い、独自の勢力圏を築いている。彼らは王国の北および西の国境が明確に定められていないことを理由に周辺の町を勢力下に取り込み、王国の関与をこばんでいるという。


 その中心的な役割を果たしているのが、『女神の涙』を奪い逃亡した元巡見士ルティアミオ・フェブラリー、そして『幸運の魔女』を名乗る魔術師エリューゼだという……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る