それぞれの決着(四)

 帝都ミューズ郊外、やはり重苦しい雲が支配する空の下。


 万をはるかに超える兵が敵味方に分かれて殺し合う……などという光景は見られなかった。もはや戦の趨勢すうせいが決している中、敢えて同胞と命を奪い合おうとする者は極めて少なかったから。


 奇妙に静まり返る人の輪の中には、剣を打ち交わす一組の男女。




「あれが皇帝……?」


「よう。無事だったかい、お嬢ちゃん」


 因縁の相手と決着をつけて戻った私を迎えたのは、ポーラさんとユーロ侯爵家の面々。


 応急処置を施しただけの左腕はまともに動かないし、全身に細かい裂傷を負っている。あまり無事とは言えないのだけれど、歴戦の彼女らにとっては大したことはないのかもしれない。

 何しろその視線の先では、一度利き腕を失った主君が一世一代の剣戟に身を投じているのだ。私どころではないに違いない。




 鍛え上げられた細身の体を黒一色の軍装に包み、肩に届く黒髪を揺らして細月刀セレーネを舞わすは、ユーロ侯爵家の主将カチュア。


 漆黒の金属鎧に深紅の外套マントを纏い、黄金の柄を握り幅広の大剣を振るうは、ハバキア帝国の皇帝ゲルハルト。



「どうですか、カチュアの様子は」


「あんたはカチュア様が負けると思うのかい?」


「そういう言い方はずるいと思います」


「あはははは!悪い、まあ見てなよ」



 ポーラさんの言う通り、カチュアは敵兵をも魅了する流麗な体捌たいさばきで大剣を受け止め、受け流し、払いのけては反撃の一刀を繰り出している。

 だが私が驚いたのは皇帝ゲルハルトの力量だ。あの『剣の達人エスペルト』カチュアを相手に一歩も引かず数十合を打ち交わすなど、帝国広しといえど果たして何人いることか。




 私は今さらになって、このゲルハルトという人物のことを考えてみたくなった。


 強大な勢力を誇るハバキア帝国皇帝の嫡子ちゃくしとして生まれ、長じて皇太子となり、自ら武勇を振るって筆頭将軍となり、長らく抵抗を続けていた東方都市国家群を制圧した。配下に幾人もの猛将を従える当代の英雄が、何故このような末路をたどることになったのか。


 もしかするとこの人は、父親である先帝の期待に懸命に応えようとしたのではないか。武を練り、人を従え、敵を倒し、強大な帝国を背負うに足る器であることを証明し……その結果、皮肉にも父親から恐れられることになった。


 では、この人はどうすれば良かったのだろう。

 無能に過ぎれば廃嫡はいちゃくされて闇に葬られ、有能に過ぎればこうして謀反の疑いをかけられる。いっそ凡庸であれば生き延びる道もあったかもしれない、才能の豊かさや生まれの良さが必ずしも幸福を保証するものではないということか。




「内なる生命の精霊よ、我は勝利を渇望する。来たりて仮初かりそめの力を与えたまえ!【身体強化フィジカルエンハンス腕力ストレングス】!」


 黙考に沈む私の耳にカチュアの声が届き、顔を上げた。


 これは私がカチュアに伝えた魔術。女性ゆえ身体能力に劣るという唯一の弱点を魔術で補完した彼女は、身体強化フィジカルエンハンスが有効な百秒間に限ればもはや無双の剣士だ。これまで互角に見えた剣戟が一方的なものとなり、黒い細月刀セレーネが幾度も皇帝の体を切り裂いた。


 勝負がついたことを悟った皇帝は垂直に剣を掲げ、せめて最期の一刀を繰り出すべく上段に振りかぶる。

 カチュアも同様に剣を掲げ、一糸の乱れもなく正眼に構える。




 もはや勝敗は明らか。誰の目にもそう映った時、それは起こった。


 振り下ろされた大剣を鮮やかに受け流し、皇帝の首を断つべく振りかざされた細月刀セレーネが鍔元から折れ、弱々しい陽光を反射しつつ地に突き立った。

 数多あまたの敵を斬り伏せ、剛勇無双メドルーサの流星戟アステロスと皇帝ゲルハルトの宝剣をも撥ね返し続けた名刀が、ついに負荷に耐えかねて力尽きたのだ。


 より失望したのは最期の覚悟を汚されたゲルハルトか、長年の愛刀を失ったカチュアか。


 いずれにしても決着の時は先延ばしにされ、運命の女神はさらに依怙贔屓えこひいきを重ねた。身体強化フィジカルエンハンスの効果時間が過ぎたカチュアを極度の疲労が襲い、さらにはくぼみに足をとられて大きく姿勢を崩した、そこに皇帝の大剣が落ちてくる。




「カチュア!これを!」


 考えるよりも早く体が動いていた。抜き身の細月刀セレーネを投げつける。


 カチュアがそれを受け取ることは確信していた。だがその瞬間に大剣を受け流して互いの位置を入れ替えるとまでは思っていなかった、この子は私がずっと思い描いていたカチュアの虚像よりもさらに強くなっている。

 それはもちろん彼女の技量あっての事だが、私とカチュアの剣が重さ、長さ、均衡、こしらえの全てがほぼ同じだったことも幸いしたのだろう。




 偶然の不運も運命の依怙贔屓えこひいきも、彼女の研鑽けんさんを上回ることはなかった。


 カチュアは銀色の細月刀セレーネで今度こそ最期の一刀を鮮やかに受け流し、そのまま弧を描いた光が皇帝の首元に吸い込まれていった。

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