テゼルト平原の戦い(二)

 ハバキア帝国西部、テゼルト平原。平原とは名ばかりの低木と石ころばかりが広がる不毛の地。後年この地名が広く知られることになったのは、今日ここで行われた天下分け目の一戦のためだ。




 ハバキア皇帝麾下きかの将軍メドルーサ、武勇を重んじる帝国にあっても特に剛勇無双とたたえられる男は、万を超える軍勢を文字通り従えて陣頭にある。


 赤く縁取られた漆黒の鎧、本当に私達と同じ人族ヒューメルなのかと疑いたくなるほどの巨躯。燃え上がるような赤毛の巨馬の背で巨大な得物を掲げるその姿は、創作物の中にのみ存在する竜殺しの勇者にも、一国を滅ぼす鬼神にも見えた。



もろく弱く、逃げ惑うだけの羊ども!我が流星戟アステロスにかかる覚悟はできたか!?」



 とどろくその声も重く太く、百歩は離れているであろう私達の腹にずしりと響いた。




 対する諸侯軍はクロエ砦とベスチア市に僅かな守備隊を残し、ユーロ侯爵軍を中心とした七〇〇〇余りがここにる。


 公式に総大将はマールス侯爵と称しているが、老齢であり実戦経験も無いため、実質的には主力であるユーロ侯爵軍の将カチュアがそれを務めることになる。

 開戦前に互いの正しさを主張することは兵の士気に直接影響する。全軍がメドルーサの豪語に気圧けおされたままでは戦えない……のだけれど、肝心のカチュアは私の背中に隠れるように引っ込んでしまった。


「何してるのカチュア、何か言い返さなきゃ」


「……」


 困ったような顔でこちらを見るカチュア。先刻は数千の軍勢に号令を下したはずの彼女が、叱られた子供のように押し黙ってしまった。

黒の月アテルフル』などと異名をとるこの子が今さら気圧けおされたわけでも、敵を前にひるんだわけでもあるまい。これは一体どういう事なのかと戸惑っているうち、ポーラさんに背中を押されてしまった。


「カチュア様はこういうの苦手なんだよ。あんたが行きな」


「私!?どうしてですか!?」


「適当なこと言って、敵に虚勢はったりかまして、味方をその気にさせるんだよ。あんた上手だろ?」


 そんな事が得意とは思わないけれど、自分の力不足を虚勢と意地でおぎなってきた一面はある。それにロシュフォールさん、ネストールさん、バルタザールさん、護衛の三騎士までがこちらを見ている。それらの視線に押し出されるように陣頭に立たされてしまい、もう後には引けなくなってしまった。




「メドルーサ将軍!」


 おそらく両軍の中で最も巨大な男に、最も小さな存在が呼びかけることになった。



「私は兵士でもなく、帝国民でもない。本来ならこの場に立つ資格はありません」


 声の大きさでも存在感でも、敵将とは比較にならない。ただ思いの強さだけは負けないようにと声を張り上げる。



「でも一言だけ言わせてもらいます!貴方あなたからは主義も主張も敵への敬意も感じない、ただ戦場で自らの力を示したいだけ。そのためだけに誰かの血を欲するなら!」


 もう一度息を吸い込み、愛用の細月刀セレーネを高く掲げた。



「懸命に今日を生きる人達のため、帝国の明日のため、親友カチュアのため!ここで貴方あなたを討つ!」




 一瞬の空白。何もない荒野を乾いた風が通り抜ける。

 やはり私には荷が重かっただろうか、と思った瞬間、背中から地鳴りのような喚声が噴き上がった。


 ある者は剣を掲げ、ある者は槍を突き上げ、ある者は地を踏み鳴らす。収まりようもない狂騒の中、先程まで小さくなっていた総大将が号令を下した。



総員突撃アッサート!」


総員突撃アッサート!!」



 数千の声がそれを復唱。石ころだらけの大地を無数の軍靴が踏みつけて、後のハバキア帝国史に残る『テゼルト平原の戦い』が幕を開けた。

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