欠けた黒の月(七)

 ベスチア市の郊外に連なる諸侯軍の天幕、さらにその隅にある仮設の動力供給施設。

 ジュノン軍学校を主席で卒業した留学生アシュリーは、そこで『魔術師にしかできない肉体労働』に汗を流していた。


「今日はこれでおしまいよ。もうすぐ交代の人が来るから、貴女あなたは休みなさいな」


「あ、うん。わかった」


 私を早めに休ませておいてアシュリーは交代要員が来るまできっちりと働き、引継ぎを済ませて仕事を終えた。既に夜も更けて多くの者は寝静まり、見張り兵の槍の穂先だけが鈍く光っている。

 アシュリーは天幕の前で折り畳み椅子に腰かけ、すっかり冷めた野菜スープに硬そうなパンを浸して飲み込んだ。私に聞こえないように小さな溜息をつくその姿から、学生時代の高慢さは欠片も感じ取れない。


「なによ。まだ言いたい事があるわけ?」


「アシュリー、毎日こんな時間まで働いてるの?」


「そうよ。昔の貴女あなたみたいにね」


「……そうだね」


 私も軍学校時代、同じような動力供給施設の仕事をしていた。熱や光や水といった生活に必要な資源を魔術の力で供給する大切な仕事ではあるが、『魔術師にしかできない肉体労働』という言葉の通り体力を消耗する力仕事で、とてもアシュリーに向いているとは思えない。


 まして彼女は、魔術科始まって以来の天才と呼ばれたラミカさえ総合的には上回る優秀な魔術師だ。こんな場所で夜中まで額に汗して働き、人知れず冷めたスープをすするなど考えられない。


貴女あなたの聞きたいことは分かるわ。偉そうにしていた私がこんな場所で何をしているのか、でしょう」


「……言葉の使い方は良くないと思うけど、だいたいその通りだよ」


「帝国の魔術師の扱いなんて、こんなものよ」


 アシュリーが語った事情は、エルトリア王国とハバキア帝国の文化の違いを示すものだった。




 百年以上も前のこと、ハバキア帝国において大きな内戦があった。不当な扱いに不満をつのらせた亜人種が各地で蜂起し、それをことごとく鎮圧しようとする帝国との戦いは、くすぶるように五十年ほども続いたという。


 人族ヒューメルに比べて亜人種は魔術を扱える者が多く、それは帝国軍の脅威となった。もちろん帝国側にも人族ヒューメルの魔術師が従軍してはいたのだが、質、量ともに不足しており、結局は損害を覚悟して物量で押し切る戦術を採るしかない。

 結果、帝国内の亜人種は数を大きく減らして人里から姿を消し、人族ヒューメルの間では魔術に対する恐れと、武勇を重んじる気風が醸成じょうせいされるに至った。


 そのためか現在では帝国内の魔術師の地位は低く抑えられ、アシュリーのような優秀な魔術師でさえその扱いは並みの騎士以下。しかもこのような遠征先では動力供給などの雑用に駆り出され、その力を発揮する場さえ与えられないという。




「そっか……エルトリアで働くことはできなかったの?」


「誇り高い帝国貴族様が、他国の者に仕えることを許されると思って?」


「よくわからないけど、そういうもの?」


「そういうものよ」


 アシュリーは呆れたように溜息をついた。


 エルトリアは魔術師を積極的に育成しており、魔術を犯罪に使えば罪が加算されるという条件と引き換えにではあるが、比較的その身分は高い。貴族のお抱え魔術師であれば上級騎士並みの扱いが保証されるし、最高位の王国魔術師ともなればその地位は爵位に匹敵するほどだ。アシュリーも生まれた場所が違えば、エルトリア王国の紋章を背負って宝玉付きの長杖ロッドを手にしていたかもしれない。


「アシュリー、私は貴女あなたの実力を知ってる。こんなところで魔力を擦り減らすなんて軍全体の損失だよ」


「私の話を聞いてなかったの?帝国では魔術師の扱い自体が軽いのよ」


「だから休んでほしいんだ。少しでも魔力を温存して、カチュアを治して、三人で見返してやろう。魔術師の力を見せてやろうよ」


「呆れた。百年も続いた国の常識をひっくり返そうっていうの?」


「百年以上前は違ったんでしょ?常識なんてずっと続くものじゃない」


「相手はメドルーサよ。あの化物をどうにかするつもり?」


「私だけじゃ無理だけど、アシュリーとカチュアが一緒ならできるよ」


「……ほんと呆れちゃうわ。どこから来るのかしら、その自信」


 自信なんか無い。根拠も無い。あのメドルーサという規格外の化物を相手に勝算など無い。

 でも、もし望みがあるとすれば。私の知る限り最強の剣士であるカチュアと、最高の魔術師であるアシュリー。この二人を万全の状態でぶつけるしかない。


 そして、私の力はそのために使うべきだろう。もどかしいことに剣士としても魔術師としても、私の力は二人に遠く及ばないのだから。

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