欠けた黒の月(六)

 数日後、私を含むポーラさんの小隊は休息交代のためユーロ侯爵領に戻った。


 敵の攻勢は激しくクロエ砦はかなりの損傷と損害をこうむったものの、一時的に皇帝軍を後退させることに成功した。

 これは二日に渡って続いた暴風雨が彼らの陣に被害を与えたことが主な要因だが、私の魔術も多少は功を奏したのかもしれない。エルトリア王国よりもさらに魔術師が希少なハバキア帝国では、破壊魔術を経験した者が非常に少ないという事情がある。多少なりとも抑止力になったのなら幸いだ。




 ともかく貴重な時間を得ることができた諸侯軍はユーロ侯爵領で戦力を立て直し、来たるべき決戦に向けて準備を進めることができた。

 有力な諸侯はマールス侯爵、オルビス伯爵、リーブラ男爵といったところで、全ての兵力をかき集めれば八千余り。今もユーロ侯爵家の城下町ベスチアの郊外にはそれらの軍勢の天幕が連なり、それも時が経つごとに数を増しつつある。


 メドルーサ率いる皇帝軍はその数を一万以上と称しているが真偽は不明、そのうち妖魔のたぐいがどれほどの割合を占めるのかも定かではない。彼らは強者に従うだけの存在であり、不利と見れば逃げ散るか裏切るか、とても戦力として計算できるものではないはずだ。


 つまり戦力的にはそれほどの劣勢という訳ではなく、猛将メドルーサ一人さえ排除できれば十分に勝算はあるということだ。そのたった一人が問題なのだけれど……




 城に戻った私とポーラさんはさっそくカチュアの元を訪ねたのだが、部屋にその姿は無かった。枕元に愛用の黒い細月刀セレーネを残したまま、どこに行ってしまったというのか。

 ポーラさんと顔を見合わせた私は、手分けして城内を探し回った。絶望にさいなまれて自ら命を……などと、つい嫌な予感に胸を掴まれてしまう。


「カチュア、どこ!?」




 その姿は意外な場所にあった。先日私と手合わせした殺風景な部屋で黙々と演武をこなしている。初めて出会った時と変わらぬ美しい剣の舞、だがその手に剣は握られていない。


「ふう……ここにいたんだ、カチュア」


「うん。いつまでも寝ていられないから」


 そう言って差し出した右手は包帯が巻かれておらず、それどころか掌の半ばまで再生されているようだった。


「その手、どうしたの!?【治療ヒール】が使える人がいたの!?」


「アシュリーが来てくれたんだ」


「アシュリー!?」


 その名前は私の頭に無かった。軍学校の同期生で、帝国からの留学生。一年生のときは執拗に嫌がらせをしてきたものだが、ある事件をきっかけに和解するに至り、その後は特に交流することもなかった。

 確かに彼女ならば魔力こそ天才ラミカに及ばずとも、知識と技術ははるかに上回る。【治療ヒール】を習得していたとしてもおかしくない優秀な魔術師だ。




 カチュアに聞いたアシュリーの所在は、意外な場所だった。ベスチア市郊外に駐留する諸侯軍の天幕、その片隅にある仮設の動力供給施設。彼女はそこで汗と泥にまみれて働いていた。


「アシュリー!」


「あら、ユイじゃない。どうして貴女あなたがここにいるのよ」


 波打つ金色の髪、勝ち気そうな吊り目。確かにアシュリーに間違いない。だがその姿は痩せて顔色が悪く、全身に疲労を漂わせている。


 さらに驚いたのは、その服装。優秀な魔術師である彼女ならば紋章付きの外套ローブを与えられていそうなものだが、とても似合わない薄汚れた作業服に身を包んでいた。

 アシュリーは帝国に連なる貴族の出自であるはずだし、それを抜きにしても有力な貴族に仕えていて当然という成績だった。あれから何があったのだろうか。


「何よ、その目は。みすぼらしい格好の私を笑いに来たわけ?」


「違うよ。カチュアの治療をしてくれたお礼を言いに来たの」


「どうして貴女あなたがお礼を言うのよ。関係ないでしょ」


「それでも言わせて。ありがとうアシュリー、カチュアを助けてくれて」


「……ふん」




 不機嫌さをよそおおうとして失敗し、照れたように目をそらして作業に戻るアシュリー。その姿を見て今度はアシュリーが心配になった。彼女は学生時代と比べて見る影もなく痩せているし、こんな状態で毎日【治療ヒール】などという上級魔術を使ってはアシュリーの方が先に倒れてしまうかもしれない。


「アシュリー、私も手伝うよ。この仕事ならやったことがあるから」


「ちょっと、邪魔しないでよ。こんなの私一人でできるんだから!」


「もう。素直じゃないんだから」


 私は体を割り込ませるようにして、久しぶりに『魔術師にしかできない肉体労働』を始めた。

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