欠けた黒の月(五)

 風が強く雲の流れが速いこの日、諸侯軍の前線拠点たるクロエ砦は皇帝軍の猛攻にさらされていた。


 小鬼ゴブリン豚鬼オークといった下級妖魔を前面に押し出して砦に迫り、長梯子はしごを掛けては登らせ、正規軍は後方から矢を放つ。


 砦から降り注ぐ投石に次々と小鬼ゴブリンが倒れ伏し、煮えたぎる油を浴びた豚鬼オークが転げ落ち、矢の雨を浴びた羽魔インプがその上に積み重なる。

 知性にとぼしい妖魔とはいえ、これほどの損害をこうむっては我先に逃げ出しそうなものだが、それを許さないのがメドルーサという男だった。


 赤く縁取られた漆黒の鎧をまとい、類稀たぐいまれな巨躯を巨馬の背に預けて長大な得物を舞わせ、味方であるはずの妖魔を次々と肉片に変えてゆく。その惨劇を目の当たりにした者は絶望と恐怖の悲鳴を上げ、きびすを返して砦に押し寄せる。味方の手にかかって肉片と化すか、敵の矢を浴びて針山と化すか、彼ら妖魔には二つの選択肢しか与えられていないようだ。


「奴が来るぞ!」


 泥まみれ油まみれになりつつ矢や油を持って階段を往復していた私は、その声に顔を上げた。


『奴』、この戦場でそう呼ばれる者は敵将メドルーサに違いない。達人エスペルトほまれ高いカチュアを破り、豪勇のあまり武を競おうとする者すらいないという。上官であるポーラさんに止められてはいるけれど、その姿を見ることくらいはしておきたい。




 果たして『奴』は来た。三十騎ほどの騎兵を従え、味方であるはずの妖魔どもを蹴散らし、馬蹄を響かせて一直線に城門へ。


 その手には私の身長の倍はあろうかという長大な得物。聞いたところでは、槍の側面に三日月形の刃を取り付けたようなこの武器は『げき』というものらしい。中でもメドルーサが振るうのは、皇帝に下賜かしされた『流星戟アステロス』と名付けられた代物しろものだという。


 そのメドルーサが流星戟アステロスを振りかぶり叩きつけると、鉄板で補強されたかしの門扉が破片をまき散らして揺らいだ。

 さらに頭上で旋回させて矢を斬り払い、その隙間を縫って体に達した数本も黒鋼の鎧の表面を滑るだけ。頭上から浴びせられた油も手近の小鬼ゴブリンを捕まえて身代わりにし、片手でげきを振り回す。


「うわははは、このメドルーサと武を競おうという強者はおらぬか!ならば良し、震えて待て!」


 その体躯、その膂力りょりょく、とても私達と同じ人族ヒューメルとは思えない。この男の比較対象とするには魔人族ウェネフィクスでさえ不足だろう、無理に比べるならばドラゴン魔神デーモンを持ち出すしかない。

 これではカチュアが敗れたのも無理はない、そもそも生物としての格が違うのだから。




 だからと言って放っておくこともできない。この様子ではメドルーサ一人に城門を破られ、無数の妖魔になだれ込まれてしまうかもしれない。そうなれば諸侯軍の、カチュアの命運も尽きてしまう。


「貪欲なる火の精霊、我が魔素を喰らいその欲望を解き放て!【火球ファイアーボール】!」


 左手小指の指輪に精神を集中させて詠唱、一抱ひとかかえほどもある灼熱の火球を頭上に発現させる。それは狙い違わず敵将に命中した、はずだったのだが。

 片手で振り回す『流星戟アステロス』に弾かれ軌道を変えたた火球は、群れを成す小鬼ゴブリンの集団の中で爆発四散した。


「何それ……嘘でしょ?」


 下級妖魔なら数匹まとめて消し炭と化す中級魔術、【火球ファイアーボール】を片手で弾き飛ばすなど考えられない。

 それだけではない。呆然ぼうぜんと立ち尽くす私に向けて、メドルーサの手から何かが放たれた。


「ぼけっと突っ立ってんじゃないよ!」


 ポーラさんが襟首えりくびを引っ張ってくれなければ、恐ろしい速度で宙を飛び去る短剣に喉元を貫かれていたかもしれない。




 肩に得物を担ぎ悠然と立ち去る人外の化物。薄く笑う形に口元をゆがめるその顔を見て、私は全身に冷たい汗が噴き出すのを自覚した。

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