欠けた黒の月(四)

 翌日。本当に雑用係にされてしまった私はポーラさんの小隊と共に、諸侯軍の前線拠点であるクロエ砦に派遣された。


 クロエ砦はユーロ侯爵領の東側に位置する城塞群の中心的な役割を果たしており、軍人・民間人合わせて二千を超える人数が起居しているという。


 軍需物資の運搬、食事の準備、武具の手入れに洗濯まで。いずれも経験のある仕事だが、軍律厳しく戦況も不利なユーロ侯爵軍ではまさに息つく暇もなく、夕食の片づけを終える頃にはぐったりと疲れ切ってしまった。


「どうだい、雑用係ちゃん。疲れたかい?」


「辛いです、とても」


 苦笑いで木杯を受け取ると、なみなみと葡萄酒を注がれた。瓶に直接口をつけたポーラさんは喉を鳴らして中身を流し込み、満足そうに息を吐き出した。


「あたしも軍の雑用係だったのさ。カチュア様に出会うまではね」


 小隊長は黒い瞳に夜空を映して昔話を始めた。それは私に聞かせるというよりも、自らの記憶を掘り起こすかのようだった。




 ポーラさんが言うには、子供の頃の記憶はほとんど無いらしい。気づけば一人で軍の雑用係や傭兵として帝国内の各地を転々としていたという。


 だからその時の自分の年齢も定かではないが、おそらく十七歳くらいの頃。ユーロ侯爵軍の傭兵兼雑用係として遠征に帯同していたその日、黒髪黒目の凛々りりしい女の子と出会った。

 その女の子、ユーロ侯爵家の息女カチュアは、見上げるほど背が高くたくましい女性であるポーラさんに妙に懐いてしまい、側近の方々が困惑するのも構わず一緒に食事を摂ったり、乱暴に体を振り回されるのを楽しむようになった。


 ポーラさんの方も最初は困惑しつつも、相手をしているうちに初めてできた家族のような感情が湧いてきた。遠征が終わってもカチュアは彼女の元を離れようとせず、困った父はポーラさんを正規兵に採用して護衛役を任せ、後にその忠誠と武勇を認めて騎士に取り立てたのだという。




「だから、あたしが今あるのはカチュア様のおかげさ。一人でエルトリアに行くと聞いたときは心配したものだけど、まさか友達が訪ねて来てくれるとはねえ」


「あの時はお世話になりました、色々と」


「ははは、悪かったねえ。あの人見知りのお嬢様が連れてくる友達とやらに興味が湧いちまってね」


 そう。軍学校の冬休みにカチュアの生家を訪ねた時、ポーラさんにはさんざん蒸留酒を飲まされ、早朝訓練でしごかれ、挙句に叩きのめされたものだ。

 でも全く悪意は感じなかった。この人が心の底から歓迎してくれたことも、私とカチュアが対等の友達であるのを喜んでくれたことも、不器用さゆえにお酒と剣でそれを伝えるしかなかったことも、ちゃんと伝わってきたから。




「あんたの話はよく聞いてるよ。一番の友達で、一番の宿敵で、目標だってさ。だからお嬢ちゃん、カチュア様の最後の支えはあんたさ。簡単にメドルーサと戦うとか言うんじゃないよ」


「……はい」


 この程度のお酒でポーラさんが酔うはずはないのだが、その目といい口調といい、らしくもなくこの夜は感傷的になっているように見えた。




 だが。素直に返事はしたものの、私は余計に興味を掻き立てられてしまった。

 あのカチュアに重傷を負わせ、ポーラさんにこうまで言わせるメドルーサという人に。

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