欠けた黒の月(二)

 カチュアは寝台から立ち上がり、意外にもしっかりした足取りで歩み寄ると、私の両手を握った。

 両手で、と言いたいところだけれど、右手首は痛々しく包帯で覆われており、その先にあるべき掌も指も、何も無い。


「カチュア、大変だったね。でもまた会えて良かった」


「うん。やられちゃったけど」


「誰に?」


「メドルーサ将軍」


 私もその名前は聞いたことがある。精強を誇るハバキア帝国にあっても剛勇無双をうたわれる武人だ。

 メドルーサ本人の武勇と彼が率いる騎兵隊の突破力は当代最強と噂され、一万の軍勢も彼らの突進を阻むことはできないとまで言われている。




 カチュアがそのメドルーサと戦い、敗れたのは五十日ほど前。幸い一命を取り留めたものの戦いには敗れ、多くの兵が失われたという。


「ユイちゃん、ちょっと来てくれる?」


「どこに?怪我してるんだから寝てなきゃ駄目だよ」


 可憐な顔に似合わず頑固なカチュアは私の言葉を無視して廊下を歩き、階段を下り、やがて殺風景な広間で足を止めた。板張りの壁に何本もの模擬剣が掛けられている。

 カチュアは器用にも左手で腰の細月刀セレーネを引き抜いた。今さらながらにいつもとは反対側、右の腰に鞘が下げられていたことに気付く。


「駄目だよカチュア、無理しないで」


「馬鹿にしないで。左手だけでも戦えるんだから」


 真面目で控え目なこの子が慣れない挑発をしたところで、怖くもなければひるみもしない。ただ痛々しいだけだ。


「それでも友達!?構えなくても行くよ!」


「やめて!」




 何もない広間に甲高かんだかい音が響く。予想よりもはるかに鋭い刺突に驚いた、本当に左手一本でこれほどの技を繰り出せるものなのか。傷ついてはいても『黒の月アテルフル』の異名は伊達ではない。

 ……だが今の私に通じるほどのものではない。刺突から変化した横薙ぎを受け流し、撥ね上げる。カチュアの剣は呆気あっけなく宙を舞い、乾いた音を立てて床に落ちた。


「やっぱり駄目かぁ」


「……」


「頑張ったのになあ、あんなに。子供の頃から毎日毎日訓練して、魔術も教えてもらって、強くなったと思ったのに」


「カチュア……」


「私には剣しかないのに。私、これしかできないのに。私のせいで、私が負けたせいで、みんな……」


「大丈夫。大丈夫だよ、私がいるから。ラミカに来てもらおう、あの子なら【治療ヒール】の魔術が使えるから。その手だってきっと治るよ」




 その言葉は親友に届いたかどうか。カチュアは声を押し殺して、私の胸の中で震えていた。


 仮にこの右手が治ったとして、『豪勇無双』メドルーサに再び挑むことができるのか。

 そして仮に挑んだとして……勝ち目があるのだろうか。




 生涯の親友にして宿敵、カチュアとの対戦成績 二勝一敗と二引分け。

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