欠けた黒の月(一)
大きな窓から見下ろす残雪の町並み。エルトリア国王の執務室は早くも春を思わせる陽射しに包まれているが、
「事情はわかった、友人を大切に思う気持ちも理解できる。だが一旦これは預からせてもらおう」
書類には
私はこの職を辞しエルトリアを離れて、カチュアの下に駆けつけるつもりでいた。
「陛下に対しても、国に対しても恩知らずとは承知しております。ですが
「まあ待て。悪いようにはせぬ
石床と平行になるほど頭を下げて今すぐにでも駆け出しそうな私を、ベルナート陛下は苦笑いで制した。
陛下は私が以前から
季節は早春。エルトリアへの侵攻に失敗したハバキア帝国は現在、内戦の
多くの兵と有力な
カチュアの生家であるユーロ侯爵家も反皇帝を掲げる諸侯軍に参加した、というよりも他に選択肢が無かった。カチュアはエルトリア侵攻に際して遠征軍司令官アリフレートから処罰を受けており、
彼女の処分が
「カチュアは私のために、国を棄てる覚悟で帝国の将軍に刃を向けました。今度は私が彼女を助けなければなりません」
「話はわかった。ならば
「そんな!陛下、どうか私に友人の恩に報いる機会を!」
ベルナート陛下は右手を上げて、泣き出しそうな私をもう一度制した。
「
今の私は怪我をした親友のことしか頭に無い。
「ハバキア帝国に
「……はい!」
先程よりもさらに体を折り曲げ、すぐに身を
カチュアの怪我は心配だけれど、ともかく生きていてくれて良かった。今度は味方として戦えるのが嬉しい、彼女も喜んでくれるだろう。
……そう思っていたのだ。この時は。
王都で馬を借り受け、十数日の騎馬の旅の末に国境を越えてユーロ侯爵領へ。
何度も帝国兵に呼び止められ、ならず者に襲われ、妖魔の姿を見かけて身を隠す旅ではあったが、愛用の
やがてたどり着いたのはベスチア市、ユーロ侯爵家の城下町。壮麗さよりも実用性を重視した、質実剛健という言葉を形にしたような城。名前と用件を告げてしばしの
ポーラさんは
「銀髪のお嬢ちゃん、久しいねえ。今度は何しに来たんだい?」
「カチュアが怪我をしたと聞いて来ました。カチュアはいますか?」
「……ついて来な」
どこか空気が重い。城内が暗く沈んでいるのは、低く垂れ込めた分厚い雲のせいだけではあるまい。ポーラさんは軍靴を鳴らして無言で階段を上り、三階の奥にある質素な扉を顎で示した。
「失礼します。カチュア……?」
嫌な予感に胸を掴まれつつ、恐る恐る扉を押し開ける。
肩の高さで切り揃えられた黒髪、引き締まった細身の体。寝台の上に身を起こして窓の外を
「……ユイちゃん?来てくれたの?」
カチュアの頭には痛々しく包帯が幾重にも巻かれ、右の手首から先が失われていた。
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