フルート市防衛戦(一)

「空を駆けし自由なる風の精霊、その意のままに舞い狂え!【暴風ウィンドストーム】!」


 敢えて私らしくもない大規模魔術を使ったのは、新手あらての到着を敵味方に知らせるためだ。


 ハバキア帝国軍は既に王都フルートの守備隊を蹂躙じゅうりんしつつあったが、背後から私達リーベ駐留軍の奇襲を受けて崩れ立った。

 当初五千は下らないと聞いていた帝国軍は、情報工作を受け、補給隊を失い、ザハール峠の激戦を経て既に二千を大きく割り込んでいるだろう。それでもなお戦意を失わないのは将軍ガルバランの雷名ゆえか、魔人族ウェネフィクスの国を作るという妄執ゆえか。


 しかしそれにも限界があった。多くの兵が疲労し、負傷しているところに前後から挟撃されては立て直しようもない。一人、また一人と乱刃にかかり異国の地に倒れていく。


 どうやら勝ったかと思ったところ、戦塵の中に覚えのある顔を見つけた。一見特徴の無い中背の体で長剣を舞わす男と、装飾過剰のローブをひるがえし左手で古木の杖をかざす女。フルートの町を背に激しく抵抗するのは、男女二人の魔人族ウェネフィクスだった。




「カイナ……どうしてここに」


「はん?てめえに言う必要があんのかよ」


 いつもは丁寧にかれている栗色の髪が乱れ、綺麗に化粧を施したはずの顔も赤と青の血でまだらに染まっている。

 そして何より右手首から先が無い。他でもない、私がリーベ城塞に潜入したときカチュアに斬り落とされたためだ。


 男の方はファルネウスさん。同郷の幼馴染エレナさんを巡るすれ違いはあったものの、対等の立場で話してみれば迷いを抱えた一人の男性だった。そのような一面を見てしまった以上、彼を単なる敵として見るのは難しい。


 ただ私の思いとは関係なく、この二人が恐るべきつかい手であることは間違いない。周囲には数える気がせるほどのエルトリア兵が倒れている、彼らを討ち取るにはどれほどの犠牲が必要だろうか……




 ロット君がいれば、と思った自分に驚いた。いつの間にか私は彼を頼る側になっていたから。

 そこに本当に彼が現れて、もう一度驚いた。白を基調としたはずの軍装が、いったい何者と戦えばこうなるのかと思うほど赤く染まり、焼け焦げ、千切れ裂けている。


「お前はカイナと決着をつけろよ。俺はあの魔人族ウェネフィクスに用がある」


「う、うん……」


 ファルネウスさんへの複雑な思いをロット君に伝えるわけにはいかない。いくらロット君が強くなったと言っても手加減ができるような相手ではない、迷いが生まれればロット君を失うことだって考えられるのだから。


「ふん、お前が最後の相手というわけか。まあ良かろう」


「妹が世話になったみたいで悪いな、そこは感謝しとくよ」


 もはや『達人エスペルト』や『勇者ヘルト』を名乗って良いほどの自信と風格を、彼は備えていた。

 あんなに頼りなかったくせに。鼻の下を伸ばして服の中を覗いていたくせに。都会の誘惑に負けて変な女に引っかかったくせに。こんな時に私を助けに現れるなんて。ロット君のくせに。




 細身の長剣と幅広の大剣が激しく打ち交わされたが、私はもうロット君のことを心配していない。今の彼にそんなものは必要ないはずだ。


「カイナ、ここにいるとは思わなかったよ。ファルネウスさんも」


「ふん、恵まれた人族ヒューメルなんかにわかるかよ」


「恵まれた?あなたは私達を見下みくだしていたでしょう」


「そういうとこだよ、数ばかり多い下等種族が!そんなお前らから息をひそめてきた、あたし達の気持ちが分かるか!」


 カイナはそう言うが、私には少し分かるつもりだ。魔人族ウェネフィクスであるエレナさんやファルネウスさんと出会い、彼らが抱える事情や複雑な思いに触れることができたから。


 魔人族ウェネフィクスは私達人族ヒューメルに比べて身体能力、魔力、生命力、知性、寿命、およそ全ての面で上回る。だがそれゆえに恐れられ迫害され、にも関わらず圧倒的に数が少ないため、人族ヒューメル社会で正体を隠して生きていくしかない。

 能力的に優れた者が劣る者に従わなければならない。しかも息をひそめて、それと知られぬように。ひそかに相手を見下すことで精神の均衡を保とうとするのも無理はない。でも。




「私はあなたが魔人族ウェネフィクスだとしても、差別したり恐れたりしない。それをしたのはカイナ、あなたの方だよ」


「くそっ、分かったふりしやがって!だからお前は気に入らねえんだよ。私の方が強いんだ!黙れ、びろ、ひざまずけ!」


「お断りだよ。そんなの強いってことじゃない!」


 足元で大地の精霊がざわつくのを感じた。迷わず横に跳ぶと、一瞬の間をおいて地面から数本の鋭い突起が飛び出し空を突いた。

岩槍ロックスピア】の魔術。だがあのカイナにしては発動が遅いし規模も小さい。慣れない左手での動作、愛用の杖を失ったことによる魔力の低下、消耗による魔素の枯渇。もはや彼女の魔術師としての力量は私と大差ないだろう。


はやき風の精霊、その身に刃をまといての者を切り裂け!【風の刃ウィンドスラッシュ】!」


「我が内なる生命の精霊、来たりて不可視の盾となれ!【魔術障壁マジックバリア】!」


 薄い刃を打ち鳴らすような甲高い音。カイナの詠唱付きの魔術でも、私の障壁バリアには亀裂ひとつ入っていない。これは私の魔力が彼女と同等か、もしくは上回っていることを意味する。自身の高い能力を頼みにしてきたカイナにとっては認めたくないところだろう。


「天にあまねく光の精霊、我が意に従いの者を撃ち抜け!【光の矢ライトアロー】!」


「天を覆いし闇の精霊、我が手に来たりて光を裂け!【暗黒球ダークスフィア】!」


「貪欲なる火の精霊、我が魔素を喰らいその欲望を解き放て!【火球ファイアーボール】!」


 カイナの杖から放たれる続けざまの破壊魔術。だが障壁バリアが光を、闇を、火球を跳ね返す。最後の【火球ファイアーボール】に至っては手で掴める程度の大きさしかなく、障壁に触れた瞬間に消滅してしまった。




 激しく呼吸を乱すカイナにはもう魔術師としての力は残されていない。右手に細月刀セレーネを下げてゆっくりと歩を進めると、後ずさるカイナの背中が建物の石壁に触れた。


「は、はは……来いよ。てめえなんか左手一本、棒切れ一本で十分だ」


「もうやめよう、カイナ。勝負はついたよ」


「ついてねえよ馬鹿が!人族ヒューメルが!同情してんじゃねえ、あたしを見下みくだしてんじゃねえ!」


 同期生を斬る決心がつかない私をののしるカイナ、不意にその下半身が石壁に埋まった。

 これは【岩棺ロックコフィン】の魔術、だが相当に手加減している。本来ならば石の中に全身を閉じ込める中級魔術のはずだ。


「何だこれ!てめえか、プラタレーナ!」


 いつの間に来たのか、プラたんが私の後ろに控えていた。ハーフエルフの彼女は大地の精霊の扱いにけている、カイナを拘束したのはこの子だろう。


「……カイナ、もう終わり」


「てめえ、森人族エルフのくせに!人族ヒューメルなんかに手ぇ貸してんじゃねえ!種族の誇りプライドは……」


「……ユイちゃん、許してくれるって。もう終わりにしよう?」


「……くそがっ!!」


 石壁に叩きつけた杖が真二つに折れ飛んだ。栗色の頭が力なく垂れ下がる。




 思えばプラたんも異種族、それも混血ゆえ両種族から差別を受ける存在だ。亜人種自治区での一件では危うく敵対するところだった。

 この子も一歩間違えばカイナと同じように闇に飲まれていたかもしれない。彼女ならばカイナの気持ちをんであげられるだろうか……

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