王都への道(三)

「しっかりしてください。すぐに支援部隊が来ます、それまでの辛抱です」


「ユイ君、気持ちはわかるが先を急ごう」


「……はい」


 ルッツさんにうながされ、重傷者に簡単な止血を施しただけで立ち上がった。


 何度も妖魔のたぐいたおしたことはある。人を斬ったこともある。先のリーベ城塞を巡る戦いは激しいものだった。血の匂いに慣れてもいる。

 しかしこのザハール峠には、その私でさえ目をそむけたくなる惨状が広がっていた。どの方向に視線を向けても人間が転がっている。目の前の一人二人に簡単な手当てを施しただけでどうなるものでもない、それに必要な物資さえ手持ちの物しかない。




 ここに陣を張っていたのは、エルトリア最精鋭と言われる北部方面軍が中心の部隊だった。王都を眼下に望む最終防衛線とあって抵抗も激しかったのだろう、地に横たわるのは帝国兵の方が多いくらいだ。加えて手当てを急げば助かりそうな重傷者が多いことが気にかかる。彼らを捨て置いてまで、これほどの犠牲を出してまで自分達の国が欲しいものだろうか。


「ロット君、大丈夫?」


「……ああ」


 ロット君は王都の儀仗兵ぎじょうへいを辞した後、この北部方面軍に所属していた。犠牲者の中に見知った顔もあることだろう。

 それどころかリーベ城塞に派遣されていなければ、彼自身がここに倒れていたかもしれない。家族にそんな報告をすることになったら、と考えて寒気がした。彼に話しかけたのは、黙っていると血の匂いで息が詰まりそうだったからだ。


「カミーユ君も北部方面軍だったんだよね」


「ああ、俺が来る前からな」


「彼が予測を外すなんてね。責任を感じすぎてなきゃいいけど」


「あいつは図太ずぶといから大丈夫だろ」


「失敗したことのない人が挫折したら大変なんだよ。カチュアを見たでしょ」


「そうだったな。その点お前は心配なさそうだな」


「失敗ばかりしてるから?」


「いや、強いからだよ。お前ならどこで何があっても、何とかしてしまいそうでさ」


 私は強くなんかない。いつも誰かに助けられて支えられて、だから少しでもその恩を返したいだけだ。何か言い返そうと口を開いたところに「全軍停止」の指示が飛んで足を止める。




 ザハール峠の頂上を越えて見下ろすは、緑と水に恵まれた平原。その二本の川が交差する場所に作られた町、エルトリア王都フルート。軍学校時代に学んだ歴史によれば、建国以来二百二十余年に渡り外敵の侵入を受けたことはないという。


 私が初めて王都を訪れたのは、巡見士ルティア公職試験のときだ。


『雑多な町』というのがその印象だった。古い家屋と新しい店が雑然と建ち並び、街路は複雑に入り組んで旅人を惑わせる。高台にある王宮と薄暗い裏通りの落差に驚き、一日分の給金がお風呂代にもならないと知り、この国の不公平をただそうと誓った。




 その王都に今、異国の軍が迫っている。三角形に並べられた豆粒のような黒い群れが町に達しようとしている。それもただの軍勢ではない、これを率いるのは人族ヒューメルを人とも思わぬ魔人族ウェネフィクスの将だという。


 もし私達が間に合わなければ、もし力及ばず敗れれば、全てが無に帰してしまう。不公平や貧富の差をただすどころではない、貧民街のごみ山に群がる子供達が、噴水で水遊びをする母子が、笑顔で焼きたてのパンを売る娘が、その未来を奪われてしまうかもしれない。


「全速前進!遅れる者に構うな、最速で帝国軍の後背をけ!」


 ルッツ隊長の号令一下、リーベ駐留軍の混成部隊三六〇名が坂を駆け下る。




 もしかすると私はエルトリアという国に対して、祖国という意識を持ったことは少ないかもしれない。公職に就いている割に忠誠心は薄いかもしれない。幼い頃から生き延びるため、今日のかてを得るために必死だったから。


 でも私の命を繋いでくれた人達のため、大切な家族や友人のため、そして名も知らぬ市民のため、必ず勝つ。

 石ころだらけの坂道を駆け、愛用の細月刀セレーネを鞘ごと取り外して左手に持ち、行く手をはばむ大岩を飛び越えた。

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