リーベ市攻略戦(一)

 松明たいまつとランプの灯りを頼りに薄暗い地下道を進む。等間隔で常駐された【照明ライト】の魔術による光で照らされてはいるが、足元の不安なく歩くには間隔が広く、光量も全く足りていない。


 岩肌がむき出しの壁、それに比べると平らにならされた地面。私の後ろにはルッツ小隊長とその小隊、私自身の小隊も合わせて三十名ほどが続いている。


 ここは城塞都市リーベに向かって北西から続く地下道、地上でいえばそろそろ城塞の内部に入る頃だろうか。


 地下道は数十年前に作られたものを、司令官カミーユ君の指示で改修したものだ。何本かの横道は魔術師が交代で【穿孔パルファレイト】の魔術を使って掘り進めたし、整地や土砂の運搬にも少なからぬ人数と日数が必要だった。


「それにしても暗いですね。もっと照明を増やしてくれれば……」


「しっ。来たよ」


 暗い地下道のためか、それとも予測される迎撃に対してか。不安のため普段よりも口数が多い小隊員を片手で制して立ち止まった。




「ユイちゃん、また来ちゃったのー?せっかくお友達に助けてもらったのにさあ」


 暗闇の向こう、よく見知った女が待ち構えていた。


 丁寧にかれた栗色の髪、ぷくりと膨らんだ唇、戦地に似つかわしくない装飾だらけの外套ローブ、大量の装飾品アクセサリーがついた古木の杖。軍学校の同期生、という呼び方はもう古いだろうか。帝国に属する魔人族ウェネフィクス、カイナ。

 その背後には小鬼ゴブリンをはじめ百匹ほどの妖魔、中には食人鬼オーガーらしき巨大な影まで控えている。


「あんたの指輪に【位置特定ロケーション】掛けてあったの気づかなかった?いくら何でも間抜けすぎない?」


「気づいてたよ、それくらい。今日はカイナと決着をつけに来たの」


「はあ?この前ボロ負けしたの、もう忘れた?これだから人族ヒューメルは」


「覚えてるよ。この前のことだけじゃなく、カイナにされたこと全部。でもこれで忘れてあげる」


 私が細月刀セレーネを抜いたのと、カイナが古木の杖を振りかざしたのは同時だった。


貪欲どんよくなる火の精霊、我が魔素を喰らいその欲望を解き放て!【火球ファイアーボール】!」


 詠唱が早い。杖から放たれた火球も尋常な大きさではない。もはや作られた可愛らしさだけが取り柄の二流魔術師という仮面を捨てたカイナは、学年主席アシュリー以上の実力を隠そうともしなかった。


 勝利を確信して高笑いするカイナ。しかしその巨大な火球は、私の数歩手前で掻き消えた。


「なにそれ!【魔術無効領域アンチマジックエリア】!?」


魔術無効領域アンチマジックエリア】は、範囲内の精霊の動きを阻害そがいし、ほぼ全ての魔術を無効化する魔術。だが発動にはこぶしよりも大きな水晶球など高価な媒体が必要、当然ながら術者も魔術を使えなくなるという制約を受けるため一般的ではなく、魔術師の間ではむべき邪法とされる。




 この通路を改修した際、等間隔で【魔術無効領域アンチマジックエリア】を常駐させた水晶球を壁の奥に埋め込んである。【照明ライト】の光が及ばない場所がその目印だ。


 カイナは用心するべきだった。自分も知っている地下道をわざわざ使ったことに。一度敗れた私が再び現れたことに。地下道の照明の間隔が開きすぎていることに。そして、私の後ろに控える兜を目深にかぶった兵士が黒い細月刀セレーネを腰に差していることに。たかが人族ヒューメルあなどったのが彼女の敗因だ。


「くそっ!人族ヒューメルごときが!」


「逃げるの?私ごときから」


「ばーか!誰が逃げるかよ!」


 カイナが食人鬼オーガーをけしかけ、その大きな影に隠れる。私の背後から小柄な兵士が飛び出し、黒い細月刀セレーネを抜き放つ。


 その影が交差した刹那、鬼の首が宙に舞った。こんな時でも見惚みとれてしまうほどに美しい剣舞を見せたのは、もちろん私の小隊員などではない。


「カチュア!お前、寝返ったのかよ!」


「どの口が言うんだか!」


 言い返したのは私だ。カチュアはもともと口数の多い子ではないし、自分の正しさを言葉で主張したりしない。それに今の彼女にはやるべき事がある。




 薄暗い地下道で鈍い光が走る。ただ速く、ただ正確に。血でぬかるむ足元をものともせず、無数の妖魔の死体を踏み越えて。どす黒い返り血を顔に浴びても眉一つ動かさず、一言も発せず、ただ斬り捨て、斬り進む。


 背中を護るはずの私が死体の山につまずき、血だまりに足を滑らせて追いつけない。今まで好敵手だと思っていたカチュアの本当の力は、『剣の達人エスペルト』などという言葉では生温なまぬるかった。これでは『戦鬼ディアブル』と呼ぶしかない。


「どけ、馬鹿ども!どけってんだろ!」


 カイナが声まで引きらせて背を向けたが、我先に逃げようとする小鬼ゴブリンの波に飲まれて身動きがとれない。そこに返り血で全身を赤く染め上げた戦鬼ディアブルが血濡れた剣を振りかざして迫るのは、さんざん人を小馬鹿にしてきたこの女でも肝が冷えただろう。ただ悪態をつきながらも古木の杖でカチュアの剣を受け止めたあたり、さすがは魔人族ウェネフィクスというべきか。


 しかし魔人族ウェネフィクスの身体能力も、練り上げられた技の前には無力だった。黒い細月刀セレーネが角度を変えて滑り、装飾過剰の杖を手首ごと切り離す。

 それが地面に落ちるより早くはしった一閃を宙返りでかわしたのは、カイナを褒めるべきか、それともカチュアが僅かに躊躇ためらったか。おそらく後者だろう、いかに因縁ある相手とはいえ同期生の生首を見たくはないはずだから。


「クソが!クソが!人族ヒューメルどもが!」


 味方であるはずの小鬼ゴブリンどもを蹴散らして、カイナは地下道のむこうに消えた。それを認めたカチュアが柄まで血に濡れた剣をぬぐい、慣れた動作で鞘に納める。


「カチュア、怪我はない?」


「うん。大丈夫」


 返り血に染まった兜を投げ捨てたカチュアは、まだ怖い目をしていた。手拭いを取り出して顔を拭いてあげたのは、少し時間を作って落ち着いてもらうためだ。体の傷はふさがったとしても、心の傷はまだ癒えていないはずだから。


「ごめん、カイナに逃げられちゃった」


「こっちこそごめん、辛い役目を押し付けちゃって」


 黒い細月刀セレーネを受け取り、小隊員に手渡す。彼女の役目はここまでだ。

 カミーユ君はカチュアに協力を願うにあたり、いくつか条件を出していた。


 一つ、妖魔以外の帝国兵を害しないこと。


 一つ、帝国兵に姿を見られないこと。


 一つ、あくまでエルトリア軍にはくだらず、捕虜の身分であること。


 確かに条件は揃っていた。だが妖魔とはいえ帝国にくみする者を斬り、祖国にあだなす行為には違いない。カチュアのおかげで損害なく勝利を得たものの、彼女の心中は複雑なものがあるだろう。




 カミーユ君は魔術師に司令部を盗聴されていると気付いた時から、それを逆手に取る策を考えていたという。私とカチュアを陥れたカイナも、彼には完全に行動を読まれてしまっていた。


 私の位置を特定できるカイナがみずから迎撃に出るであろうこと。彼女は直近までエルトリアに潜入していた間者かんじゃであり、魔人族ウェネフィクスでもあるため、人族ヒューメルの部下を持たない。自尊心プライドの高い彼女のことだ、功績を独り占めすべく単独で行動する可能性は高い……


「僕の予測が外れたならそれでいい。他の部隊もいるんだ、無理せず帰還してくれればいいよ」




 頭上で重々しい音が響いた。小刻みな振動が暗い地下道を揺らす。

 司令官の言う通り、他の部隊が行動を開始したようだ。

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