侯爵令嬢の挫折
趣味の悪い天幕だ。虎皮の敷物はまだしも、鳥とも獣ともつかぬ奇怪な生物や
「らしくない失態だな、カチュア」
「申し訳ございません」
深々と頭を下げたのは、表情を隠す意味もあった。
後悔はしていない。この男に親友を売り渡すくらいなら、どのような処罰でも受け入れるつもりだ。
エルトリア攻略軍司令官、アリフレート将軍。
以前から皇太子ゲルハルト直属の指揮官ではあったが、彼の登極に伴い将軍にまで上り詰めた男だ。
「
「
「武名高い『
「隙を突かれ、武器と魔術の媒体を奪われましてございます」
「それに
「……はい」
将軍が薄く笑ったような気がした。愚者を見下すような冷たい笑み。
「失態は良い。だが陛下と私を偽るとは許しがたいな」
「……」
「私の部下によると、おぬしが剣と指輪を渡すところを見たと言うが」
「……」
「その者は指輪を奪った際に【
「……ございません」
アリフレートの部下とはカイナのことだろう。ユイちゃんは「カイナに気を付けて」と言っていたけれど、あのとき既に罠に
「カチュア・ユーロ、おぬしに降格および転属を命じる。我が隊の兵卒として参戦せよ」
「……承知致しました」
深々と頭を下げつつ首を
しかしこれさえも、以前の帝国では考えられないことではある。仮にも爵位を持つ諸侯の軍は一応の独立性を認められており、その人事に国が口を挟むことはなかった。
それがゲルハルト陛下の
「ついでに教えておこうか。
声を立てずに笑う
だが向かった転属先で、自分の考えが甘かったことを知った。
天幕などという物は無い、ただ薄暗い森の中。獣の匂いと叫び声、食い散らかされた動物の骨。自分に向けられる好奇の目。しかもそれらは人間のものでさえない、赤く黄色く濁った妖魔の目だった。
ユーロ侯爵家は現皇帝ゲルハルトの登極に際し、中立を保っていた。明確に反旗を
だが、失態に付け込んでのこの仕打ち。私がいなくなればユーロ侯爵家の血は絶えてしまう、どこまでも諸侯の力を
「来ないでください!」
「―――!―――!」
「――!―――!」
彼らの言葉は理解できないし、したくもない。その顔を見れば明らかだ、私をどこからか迷い込んだ雌としか見ていない。
「ユーロ侯爵軍、カチュアです。指揮官殿はおられますか?」
「――――――!!!」
無造作に飛びかかってきた妖魔どもに向けて黒い
「もう一度だけ聞きます。
奇声を上げて群がる妖魔を斬り下げ、斬り伏せ、斬り捨てる。周囲の
「こんな所で何をしている」
確かファルネウスという名だったろうか。
「ファルネウス殿、
「恐怖と欲望に従うだけの下等生物に、指揮官などいるものか」
「私はこの部隊に転属になったのです。それでは困ります」
「いい加減にしろ、真面目も度が過ぎるだろう」
「しかし……」
総司令官たるアリフレートからの降格・転属命令が正式なものである以上、ユーロ侯爵軍に戻るわけにはいかない。悪くすれば自分だけでなく侯爵家に
それにたった今、妖魔とはいえ帝国兵を手に掛けてしまった。もはや帝国にも侯爵軍にも居場所はなく、かと言ってエルトリアに
「あの女を逃がしたのはお前だろう。お前が身代わりになって、あいつが喜ぶと思うか」
「ユイちゃんのこと!?あの子のこと、知っているんですか!?」
「……確かそんな名だったな」
その言葉に背中を押されたのか、やはり命が惜しくなったのか。深々と頭を下げ、剣を
でもどこに向かっているのか、どこに向かえば良いのかわからない。ただただ走り続け、気が付けば深い森の中で夜を迎えていた。
喉が渇いたな。でも水筒など持ってきていない、どうすれば水が手に入るのだろうか。
『雨が降ってないのに足元が湿っていたら、それを上にたどって行けば
親友の声が聞こえたような気がする。遠乗りに出た先で教えてもらった通りにすると、岩の裂け目から水が湧き出していた。手ですくって飲んでみると、体じゅうに染み渡った。
お
『これはリタの芽。若い芽は生でも食べられるけど、おいしくないよ』
夏合宿のとき、手近の木の芽を採って煮込んでくれた。苦くてとても美味しくはない、でもお腹は少しだけ満たされた。
寒くなってきた。でも天幕どころか毛布もない。
『ラミカは家でお菓子食べてるんじゃない?プラたんは結構寝てばっかり。リースは大抵図書室にいてね……』
あの時も他愛もないことを話しながら、毛布に落ち葉をかぶせてくれた。枯れ枝を組んで落ち葉をかぶせた中にうずくまると、冷え切った手足が温かくなってきた。
私はなんと弱いのだろう。家ではもちろん、遠征先でさえ部下が天幕を張り、火をおこし、温かい食事を作ってくれるのが当たり前だった。
侯爵令嬢だ、天才剣士だと持て
あの子はどんなに辛い目に遭っても諦めず生き抜いてきたというのに、私のこの弱さ、
「ユイちゃん……」
彼女なら、私の親友なら、このくらいの出来事で絶望したりしないのだろう。
でも私は、たった一度の挫折で完全に折れてしまった。もう立ち直れそうにない。ならばせめて……
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