リーベ市防衛戦(六)

 開戦から六十日、戦線は不気味な膠着こうちゃくを見せている。


 万を超えるであろうハバキア帝国軍に対して、城塞都市リーベに籠る私達は二千弱。


 後方にはエルトリア軍主力が待機していると聞くが、その数も距離も明らかにされてはいない。兵士達の噂では兵力一千から五千、距離は峠のすぐ向こう側とも、徒歩で一日はかかる町にいるとも言われており、全くあてにならない。


 これはおそらく司令官であるカミーユ君の仕業だろう。単に隠すだけでなく、複数の誤った情報をわざと流しているところがいかにも彼らしい。




「お待たせ、司令官。呼んだ?」


「やあユイさん。お茶でもどうかと思って」


「ずいぶん余裕あるね。やること一杯あるんでしょ?」


「慌てても効率が落ちるだけだよ。適度な休息は必要さ」


 リーベ城塞の中央に位置する司令部。カミーユ君はここに着任するなり、自ら設計してこの施設を建てたものだ。僅か三十日ほどで建てられたとは思えないほど設備が整っており、微かに木の香りがする。兵舎の動力球から供給されている水と熱でお茶をれながら、司令官は私を手招きした。


「いいでしょ?これ。いつでもお茶が飲めるんだよ」


 木製のコップを差し出しつつ、カミーユ君は別の方向に顔を向けていた。呑気のんきな言葉とは異なり、その目は鋭く細められている。


 彼の視線の先にあるのは、指令室の隅に置かれた水晶球を掲げる女神像。うなずいた私は、聞き取れないほどの小声で詠唱を始めた。


「世にあまねく精霊、我が前にその姿を現せ。【魔力探知センスマジック】」


魔力探知センスマジック】は、魔術がほどこされた品を探すための魔術。

 目を凝らすと、女神像が掲げる水晶球を取り巻くように緑色の精霊がただよっている。これは何者かが水晶球に風系統の魔術を常駐させていることを意味する。


 おそらくは【風の声ウィンドボイス】だろう、この指令室が常に盗聴されているという事だ。


 私は一度うなずき、心得たカミーユ君と当たりさわりのない世間話を済ませて外に出た。

 彼は腕を組み、兵舎の周りを歩きながらつぶやいた。




「帝国軍の間者かんじゃが紛れている」


「みたいだね。それも魔術師の中に」


 カミーユ君いわく、そうとしか思えない事態が何度か起きているらしい。


 先日は山中に拠点を作ろうと派遣した工兵隊が襲撃された。それも十分につけたはずの護衛を上回る数で、場所までも正確に。

 数日前は警戒が手薄な湿地帯を抜けた帝国の小部隊が城塞の裏手に回り、補給や連絡が一時途絶えたりもした。


「そこで昨日、大規模な夜襲を仕掛けるという指示を出しておいて、寸前で撤回したんだ。帝国軍からは夜襲に備える動きが見られた」


「そういう事だったの。大がかりな夜襲なんてカミーユ君らしくないとは思ってたけど」


「ユイさんに心当たりはない?魔術師の中に外と連絡を取ったり、敵兵に対して手心を加えている人はいないかな」


「どうかな……そういう目で見たことはなかったから」


 そういう目で見てしまえば、帝国兵を傷つけていないのはラミカとプラたんになってしまう。


 二人とも無闇に破壊魔術を使っておらず、【暴風ウィンドストーム】で無力化するのが精々だ。むしろカイナなどは積極的に【光の矢ライトアロー】や【風の刃ウィンドスラッシュ】などの破壊魔術を使って帝国兵を仕留めているので、対象から外れるだろう。


 現在このリーベ城塞にいる魔術師は、私を含めて九名。魔術科の同期生であれば顔を見知っているが、他はまだ顔と名前が一致しない人が多い。早急に警戒の対象を洗い出さなければならないだろう。




 さっそく私は魔術師の名簿を作り、会話や行動を記録し始めたのだが、結論から言ってしまえばこれは間に合わなかった。


 翌日から帝国軍の全面攻勢が始まったからだ。

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