ハバキア帝国潜入調査(八)

 やっと会えた。ずっと心に棲みついて離れない親友と再会できたのは嬉しい。


 しかし今は、互いの立場が旧交を温めることを許してくれない。私は密偵として、彼女は追手としてここにる。川沿いの街道を馬で駆けるのも、あの時のような心弾む遠乗りではない。抜き放った剣の下に命をさらす騎行だ。


「どうしてプラワの町にいたの?帝都にいるって聞いたのに」


「帝都にいたよ。エルトリアの密偵らしき者が脱出した、若い銀髪の女性だ。なんて聞いたら、他の人に任せるわけにいかないでしょ」


「わざわざ私のために来たって事は、逃がしてくれるのかな」


「そうもいかないよ。捕まえてから酷い目に遭わないようにするだけ」


「まあ、そうだよね」


「そうだよ」


「あちらはフェリオさん。前に話したことあったよね」


「聞いたよ。いろいろと」


「手紙の返事が遅くてごめんね。なかなか帰れなくて」




 この私の呑気のんきな態度には、さすがにカチュアも困惑の表情を浮かべた。


「いいから構えなよ。お話ししに来たんじゃないんだよ」


「少しくらいいいじゃない。四年ぶりなんだから」


「時間稼ぎのつもり?また何かたくらんでるんでしょ」


「そうかもね。でも素直に会えて嬉しい」


「それは私もだけど……」


 私が無駄話をしているのは、懐かしさのあまりではない。カチュアは抜剣しない相手を、それも旧友を斬り捨てられる人物ではない。その誠実さに付け込んで距離を稼ぐためだ。

 それに私には馬上戦闘の経験など無い。『黒の月アテルフル』などという異名を諸国に響かせる剣の達人エスペルトと戦う選択肢など有り得ないのだ。




 やがて川と街道が接する場所まで来た。カチュア以外の帝国兵も近づいている。頃合いだろう。


「フェリオさん、ここです!カチュアの相手を!」


「わかった!」


 あぶみを蹴り、街道脇の草叢くさむらに飛び降りる。フェリオさんがカチュアの斬撃を防ぎつつ後退する、その間に詠唱を済ませた。


「流れに揺蕩たゆたう水の精霊、集いてその身に我を乗せよ。【浮葉フロートリーフ】!」


 フェリオさんの剣術はおそらく私を上回るほどだが、さすがにカチュアが相手では分が悪い。しかも得物えものは看守から奪った安物の直剣だ、僅か数合で刀身を斬り飛ばされてしまった。


「ユイ君の言った通りだ。強いな」


「十分です。あとは私が!」


 背後には幅の広い川、目前には『剣の達人エスペルト』カチュアと十数名の帝国兵。もはや進退きわまったとしか思えないだろう。


「ユイちゃん、安全は私が保証するから。剣を捨ててこちらに来て」


「ごめん、それは聞けない。また別の場所で会おうね」


 私は川岸を蹴って後方に宙返りすると、水の上に降り立った。


浮葉フロートリーフ】はその名の通り、浮かぶ葉のように水面を歩くための魔術。下級魔術に分類されるものの習得はやや難しく、魔術師としては未熟なカチュアに使うことはできないだろう。

 広く穏やかな川面かわもを走り去る私達を、カチュアと帝国兵が呆然と見送った。


 直接剣を合わせた訳ではないけれど、これは引き分けと言って良いだろう。

 生涯の親友にして終生の好敵手ライバルカチュアとの対戦成績、一敗と二引分け。




 川を渡り、山を越え、木々に身を隠してようやく落ち着いた。下級魔術とはいえ、これほど立て続けに唱えては疲労が激しい。下草に足を取られて転びそうになった私を、フェリオさんが支えてくれた。


「どうやら逃げ切ったようだね。少し休もうか」


「はい……」


 昨夜と同じように肩を掴まれたが、もうあの時のような胸の高鳴りは無い。


 フェリオさんはいつでも強くて、優しくて、頼りがいがあって、素敵な人だ。

 でもそれだけに私を、というよりも女性全般を庇護ひごの対象としか見ていない。どれだけ努力しても、力をつけても、貢献しても、自分の横に並び立つことを許してはくれない。


 私を足手まとい扱いしたことを一応は謝ってくれたが、また同じような事が起きれば、自分を犠牲にして『か弱い女性』を護るに違いない。比べるのは悪いと思うけれど、例えばこれがロット君なら。私に弱いところや思い悩んだところ、格好悪いところを見せてくれる。困れば私を頼ってくれる。


 もし昨夜、フェリオさんが格好悪い昔話でもしてくれたなら。私があきれるような馬鹿馬鹿しい話をしてくれたなら。共に歩む未来を夢見たかもしれない。


 彼は私の恩人で、尊敬すべき先輩で、素敵な年上の男性。それは変わらない。

 ただ、人生を共に歩む相手ではなかったのだと思う。




『新皇帝ゲルハルトはその武勇と苛烈かれつさをもって短期間のうちに国内を掌握する見込み。エルトリア出身の魔術師フレッソ及び魔人族ウェネフィクスを配下とし、その下に多くの妖魔を従えるとの報あり。尚、同行者ミハエルは引き続き潜入任務を続行』




 その報を王都フルートに届け、私の初めての国外任務は完了した。

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