ハバキア帝国潜入調査(七)

 プラワの町から逃げ出した私は、夜が明けぬうちに再び戻ってきていた。


 一度逃亡した密偵がまた舞い戻っているとは思うまい、むしろ町の外を捜索しているだろう。私にはこの町でやり残した事がある。


「ここか……」


 フェリオさんの剣の鞘には【位置特定ロケーション】の魔術が掛けてあり、その座標が石造りの建物の中を示している。おそらく彼はここにとらわれているのだろう。

 既に亡き者にされて剣だけが保管されている可能性も無くはないが、私達をエルトリアの密偵と知っての包囲網だったのだから、生かして情報を得ようとするはずだ。


 町外れにある石造りの小さな建物。おそらく大部分の施設は地下に作られているのだろう。

 朝も早い時間だというのに、常に歩哨ほしょうが一人立っている。成功率を考えれば夜を待った方が良いのだろうが、時間が経てばフェリオさんが危険にさらされてしまうかもしれない。私はこの町と周辺の地形を思い返し、手早く作戦を立てた。




「自由なる風の精霊、その歩みを一時ひととき止めよ。【静寂サイレンス】」


 何食わぬ顔で角を曲がり、私は建物の前に姿を現した。歩哨ほしょうがちらりとこちらに目を向け、視線を落とし、もう一度見る。


「何者か!?」


 おそらくそう言ったのだろうが、その声は【静寂サイレンス】の魔術のせいで誰の耳にも届かない。


「安らかなる生命の精霊よ、彼の者を深き眠りにいざなえ。【睡眠スリープ】」


 くたりと倒れ込んだ兵士を物陰まで引きずり、革製のかぶとと軍服を拝借して身に着け、迷いなく扉を開けた。かぶとも軍服も大きすぎて不自然極まりないが、一瞬だけ戸惑ってもらえればそれで十分だ。




 受付のような小部屋に座っていた兵士に【睡眠スリープ】。


 大部屋のような部屋から複数の気配を感じたので、その入口に【施錠ロック】。


 突き当たりの階段から地下に下り、椅子に座っていた看守には出会い頭に【睡眠スリープ】。


 立て続けに魔術を唱えて、私は目的の鉄格子の前に立った。良かった、まだ拷問を受けたり手足の腱を切られたりはしていないようだ。


「ユイ君……どうして」


「フェリオさん、あなたに文句を言いに来ました」


 看守が持っていた鍵で鉄格子を開け、立てかけてあった安物の剣を手渡した。フェリオさん自身の剣は大部屋にあるようなので回収は無理だろう。


「わかった、後で聞こう。君の指示に従うよ」




 静かに階段を上り、建物を出た。入口の扉に【施錠ロック】の魔術。町の西門近くにあるうまやの鍵を【開錠アンロック】で開け、馬を二頭拝借する。


「騒がしき風の精霊、狂い来たりて鳴り響け!【轟音ロアリング】!」


 早朝の町に地を揺るがす轟音が鳴り響き、うまやの中に残った馬がいななき暴れ騒ぐ。


「止まれ!何者か!」


「我が内なる生命の精霊よ、来たりて彼の者に耐え難き苦痛をもたらせ!【苦痛ペイン】!」


 門番の誰何すいかを無視しての魔術。頭を抱えて地に転がる同僚を見て、もう一人の門番は明らかにひるんだ。その隙に町の外に駆け出す。


「ユイ君、助かったよ。まずはお礼を言わせてもらう」


「お礼を言うくらいなら、あんな事しなければ良かったんです」


「そうだね。でもあの時は……」


「二人で逃げる方法もあったはずです。足手まとい扱いされたことに、私は怒っています」


「……そうか、すまない」


『あんな事』。もちろんこれはフェリオさんが私を足手まとい扱いしたことを言っているのだが、別な意味もある。

 あの時私は、覚悟を決めてこの人を受け入れようとしたのだ。私にだって色々な人に対して様々な感情があるというのに、それを何だと思っているのか。




 そのような私の感情とは関係なく、やがて馬蹄ばていの音が迫ってきた。街道に出てそれほど時間が経っていないはずなのに、やはり馬術の腕に差があるのだろう。


 私の馬術は武官研修で学んだ程度で、帝国騎士とは比べるべくもない。

 だが、それにしても早すぎはしないか。先頭の小柄な騎士は特に馬術にたくみなようで、見る間に距離が詰まってくる。


 私の記憶に照らし合わせれば、もう少し先までこのまま逃げなければならない。次の策を考えればもう魔素マナに余裕はないし、できれば帝国兵を傷つけたくはなかったが、こうなっては破壊魔術を使うのもむを得まい。


「天にあまねく光の精霊、我が意に従いの者を撃ち抜け!【光の矢ライトアロー】!」


 頭上に出現した三本の光が宙をはしり、先頭の騎士の胸を撃つ。そう見えた直前、光の矢が残らず砕け散った。


「うそ!そんな……」


 致命傷を負わせるつもりで放った【光の矢ライトアロー】を全て斬り払われた、しかも揺れる馬上で。そんな芸当ができる剣の達人エスペルトなど、私は一人しか知らない。

 その騎士は瞬く間に私の横に並んだ。黒髪黒目に黒い軍服、細月刀セレーネの鞘まで黒く塗られている。




「カチュア!」


「久しぶりだね、ユイちゃん。私に会いに来たのかな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る