ハバキア帝国潜入調査(六)

 いくつかの魔術と密偵としての能力とを使い分けて帝都ミューズを抜け、街道をれ山を越えて、プラワというそれなりに大きな町に出た。ここまで来れば追手の心配も薄れただろうか。




「ユイ君、外で食事にしようか。準備ができたら来てくれ」


「え?あ、はい」


 フェリオさんにそう誘われたのは夕刻、宿屋にそれぞれ部屋を確保した後のことだった。

 そういえばフェリオさんと二人で食事など初めてだ。公職試験合格のお祝いの時はミオさんが一緒だったし、今回の任務も単独行動かミハエルさんと三人だった。


 胸が高鳴らないかと言われると、やっぱり嘘になる。できれば少々着飾りたいところだけれど、残念ながらそのような服は持ち合わせていない。いつもより丁寧に髪をいて、薄く化粧を施した程度だ。

 それはまあ仕方ない。動きやすい服装で帯剣のこと、と事前に言われてもいる。敵地ゆえ当然なのだが、敢えてそれを言ったことが気になるといえば気になる。ともかく私は気持ちを落ち着け、軽く扉を叩いた。


「ユイです。お待たせしました」


「うん。それじゃ行こうか」




 プラワの町はルートと同じく硝子ガラス細工が盛んなようで、店先に並べられたいくつもの工芸品が色とりどりにきらめいている。

 出来ることなら両親や弟妹にお土産の一つも選びたいところだが、生憎あいにくと今は時間にも、状況的にもそのような余裕は無い。


 フェリオさんに連れられて入ったのは、高台にある料理店。この町で作られたであろうグラスを軽く合わせて、薄桃色の葡萄酒に黄昏たそがれの町を映す。


「ユイ君は帝国に友達がいるんだったね」


「はい、カチュアっていう子です」


「確かユーロ侯爵家の令嬢だったかな?心配だね」


「ええ。でもあの子なら、誰が相手でも負けたりしません」


「ははは、それは頼もしい。また会えるといいね」




 私は少々、いや、かなり緊張していた。巡見士ルティアになってからは外食が多くなってはいたが、男性と二人でこんな雰囲気の良いお店に入ったことはほとんど無い。


 しかも相手はフェリオさんだ。殴られ、蹴られ、さげすまれるばかりだった私の人生を変えてくれた人。

 この人はこんな場所で、一体何を言い出すつもりだろうか。そればかりが気になってしまい、料理の味もよくわからない。子供の頃はその日の食事に困るほどだった私が、なんと勿体もったいないことか。


「この上は展望台になっているんだ。行ってみないかい?」


「はい。是非」


 食事を終えた私達は螺旋らせん階段を上り、展望台に出た。火照ほてった頬を冷たい夜風が撫でていく。白、赤、青、黄、緑。黒い布に宝石箱をひっくり返したような光の欠片が眼下に広がっていた。


「ユイ君」


 不意に両肩を掴まれて驚いた。フェリオさんは、この人は、一体何をするつもりだろうか。混乱した頭で目をぐるぐるさせつつ私が導き出した答えは、目を閉じることだった。


 しかし数瞬待っても、予想した感触は来ない。




「さよならだ。後を頼むよ」




 軽く両肩を押された私は、腰ほどの高さの鉄柵を越えて後ろ向きに宙に舞った。


「え……?」


 奇妙な浮揚感。時間がゆっくりと流れていく。


 なぜ?フェリオさんが帝国側について、私を消そうとした?


 それは無い。そんな機会はいくらでもあったし、彼は私が【落下制御フォーリングコントロール】の魔術が得意なことを知っている。ならばどうして。




 答えはすぐに出た。【落下制御フォーリングコントロール】を唱え、宙返りで地面に降り立ったところに、三方から黒い影が迫ってきたから。


 おそらく町に入った時点で追手に囲まれていたのだ。フェリオさんはそれを察知し、二人での逃亡は無理と判断したのだろう。

 不覚にも私はそれに全く気付かなかった。未熟さもあろうが、二人きりの食事にすっかり舞い上がっていたから。


 上に残されたフェリオさんの安否は気掛かりだが、こうなっては落ち込む暇も後悔する余裕もない。


「内なる生命の精霊、我に疾風のごとき加護を。来たりて仮初かりそめの力を与えたまえ!【身体強化フィジカルエンハンス敏捷アジリティ】!」


 追いすがる影を振り払って、私は色とりどりの光の中を駆け出した。




 宝石箱のような光の一つ一つまでもが忌々いまいましい。


 いや違う、忌々いまいましいのは自分自身だ。油断し、舞い上がり、足手まといになってしまった自分が光の中に映し出されているから。

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