ハバキア帝国潜入調査(四)
帝都ミューズ。
この町を訪れるのは初めてだが、どこか暗く沈んだ印象を受ける。
実際の風景が暗いことは確かだ。白っぽい石壁もどこか灰色にくすみ、黒い石屋根は重く建物にのしかかるようだ。灰色の空までもが低く垂れ込め、水滴にもなれない細かな水の粒が町を覆っている。
だが、この重苦しさは建物や空のせいだけではないだろう。
皇太子ゲルハルトが帝位に就いて一五〇日。先帝は幽閉されているとも、既に亡き者にされたとも噂されている。それらの噂話さえ、辻々に立つ兵士の耳を避けて小声になってしまう。
買い物を
この辺りには珍しい
黒髪の女性を見るたびに振り返り、やはり別人かと
大きめの商店を見て回ったり、安価な品を購入して話を聞いたり、兵士に道を
それでも帝都の物流が
「すみません、エルトリア産の果実酒はありませんか?」
「あー、今はエルトリアからの物は入って来ないねえ」
「代わりに都市国家群からの物が多くなってきていますか?」
「そうだね、その壁に掛かってるのは全部そうだよ」
いかにも善良そうなパン屋の主人、貧民街でごみの山を漁る子供達、屋台で軽食を売るおばさん。店先に並ぶ衣料品、夕陽に映える噴水、塀の上で伸びをする野良猫。ハバキア帝国もエルトリア王国も、おそらく他の国々も、同じような夕暮れを迎えるのだろう。
皇帝ゲルハルトは都市国家群を戦火の
フェリオさんミハエルさんと合流したのは、ヴァーミリオンの町で別れてから十八日目の夕刻。
二人の武器の鞘に【
驚いたことに、ミハエルさんはもう一人の男をその場に連れて来た。何でもこの人は退去命令を受けて本国に帰還したと思われていたエルトリア駐在武官の一人で、
以前からミハエルさんのの観察力、情報収集力、人脈などはちょっと理解できない水準にあると思っていたが、これは極めつけだ。
「先帝は以前からゲルハルトの勇名を恐れており、遠征から
駐在武官はそう語り、その際ゲルハルトを助けたのが
「エルトリア出身の若い魔術師……?」
帝国に比べて多くの魔術師を輩出するエルトリアでも、その数は限られている。皇帝に重用されるほどの力を有する者となれば尚更だ。
「どのような特徴の人ですか?」
「若い赤毛の男らしい。名前は確か……フレッソ」
「フレッソ・カーシュナー!?」
思わぬ名前につい声を上げてしまった。六本の視線が全て私に集中する。
「ユイ君、静かに」
「す、すみません……」
「ああ、お嬢ちゃんが追ってた
「顔は関係ありません。事情があって追っていただけです」
ミハエルさんがにやにやと変な笑い方をする。この人の密偵としての能力は認めるけれど、変に
「話をそらして申し訳ありません。続けてください」
話をそらしたのはミハエルさんなんだけど、と思いつつも、これ以上の脱線を避けるために口を閉ざした。
「皇帝は情勢不安定な帝都を動くことはできないでしょうが、反対派の
……と、有用で確度の高いであろう情報が得られた夜のこと。
深夜だというのに町が騒がしくなったので外に出ると、傷だらけの男が用水路に浮かんでいるとの話だった。
ちょうどその遺体が運ばれていくところを見ることができたが、ちらりと見えた衣服や体つきからして、夕刻に会った駐在武官に間違いないようだ。人々の話ではいくつもの刺し傷があったらしい。
その報を
「ミハエル君がいない。荷物もそのままだ」
そう短く告げて私を見る。ミハエルさんの短剣の鞘には【
「ここから南南西に七百歩です。全く動きがありません」
「わかった。確認しに行こう」
私は嫌な予感に胸を
手早く荷物をまとめ、フェリオさんと共に宿を出る。【
月明りが照らす古い井戸だった。ミハエルさんが持っていた短剣の鞘はその底にある。
まさか。フェリオさんにそれを告げ、早くなる鼓動を押さえて周囲の気配を探る。
遠くから酔っぱらいの歌声が聞こえるが、どこからも視線や害意のようなものは感じない。恐る恐る古井戸に近づき、嫌な予感をこらえて【
予想した惨状はそこになかった。思わず胸を撫でおろす。
だが暗い井戸の底に、【
「母なる大地の精霊、その優しき手に我を乗せよ。【
靴を地上に残してゆっくりと井戸の底に下りると、
『お嬢ちゃん、びっくりしたかい?』
そう書かれた紙を少々いらつきながら丸めて捨て、それに包まれていた二枚目を開く。
『調査継続中。そちらは帰還せよ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます