ハバキア帝国潜入調査(三)

 私はフェリオさん、ミハエルさんと別れて、帝国の街道を一人進んだ。彼らとは別の方法で情報を得る機会があるからだ。


 それぞれ情報を収集しながら帝都ミューズに向かい、現地で合流する。二人の武器の鞘に【位置特定ロケーション】の魔術を掛けてあるため、それは難しくないはずだ。




 石ころと低木だらけの街道、ナイフで切り分けられたように四角い黒石屋根の建物。ハバキア帝国の街並みはどれも似通っている。

 どうという事のないこの道も、親友カチュアと旅した記憶が心を波立たせる。彼女は町に着くたび、変わった風景に目を止めるたび、丁寧に言葉をつむいでくれたものだ。




 国境の町ヴァーミリオンの次に訪れたのは、果実と酒の町ドランジュ。ここでは両親と軍学校の友達へのお土産みやげに果実酒を買った。


「ドランジュの町ではね、いろいろな果物が採れるの。もともとは自然のものを採るだけだったけど、国の政策で整備してから収穫量が増えて、食べるだけでなくお酒とかジャムに加工してるんだ」




 硝子ガラス細工の町ルート。ここでは弟と妹のために砂時計を買った。


「どの建物も同じような屋根でしょ?見た目の統一感を出すために、このあたりで採れる石を平らに加工したものが使われてるんだ」




 鉄製品の町トルメス。ここでは両親のために鋳物いもののタンブラーを買った。


「このトルメスの町はね、鉄製品を扱う店が多いんだ。鉄と石炭が採れる山のふもとの村で造られた刃物とか鋳物いものとかが流通してるの」




 町に着くたび、目立つ建物を見るたび、見覚えのある店を目にするたび、案内してくれたカチュアの言葉を思い出す。

 彼女の生家であるユーロ侯爵家からの帰り道、国境までゆっくり馬車の旅を楽しんだのはもう五年近くも前になる。


 あれから一度も会っていないというのに、私の心にはいつもカチュアがんでいる。あの流水の体捌たいさばき、美しくも鋭い剣の舞、いつまでもこの目に焼き付いて離れない。


 手紙のやり取りは続いているが、今ではそれさえもとどこおりがちだ。

 互いに国の機密に触れる立場である以上、どうしても話題や言葉を選ぶ必要がある。あれほど一緒の時間を過ごしたというのに、よそよそしいと思われてはいないだろうか……




 やがてたどり着いたのはベスチア市、ユーロ侯爵家の城下町。総煉瓦レンガ造り四階建ての城を前にして、私はカチュアから贈られた銀鞘の細月刀セレーネを握り締めた。


「また会えるよね」


「会えるよ、必ず」


 軍学校の正門でそう言って別れたきり、四年が経つ。


 ハバキア帝国とエルトリア王国、互いの祖国の間は広がるばかりだけれど、せめて一目、せめて一言、旧交を温める機会があっても良いではないか。

 以前とは違って物々しい警備の正門で、私は名前と用件を告げた。敢えて国籍も役職も告げずに。


「ユイ・レックハルトです。カチュアはいますか?」




 しばしの後。黒髪の女性らしい人影が出てきて一瞬喜んだものだが、それは全くの別人だった。


「おい。今がっかりしたろ、お前」


「い、いえ、そんなことは……」


 ポーラさんは言うなり、首に太い腕を巻きつけてきた。そういえば前にもこんな事があった気がする。二日酔いで手合わせをさせられた挙句、この人に捕まってまた飲まされ、翌朝改めて叩きのめされたのだ。


「懐かしいな、お嬢ちゃん。何しに来たんだよ」


「ええと、カチュアに会いに」


「残念だけどカチュアお嬢様は留守だ。あたしが相手してやるよ」


「えっ、いきなり戦ったりお酒飲んだりしませんよね?」


「あたしを何だと思ってんだ、お前は」


 カチュアに会えないのは残念だけれど、勝っても負けても気持ちの良いこの人は嫌いではない。思いがけない人の案内を受けて、私はベスチアの町を巡ることになった。


「どうだいお嬢ちゃん、彼氏はできたかい?」


「いえ、仕事が忙しくてなかなか」


「仕事を言い訳に使うのは良くないねえ。その見た目なら騎士でも貴族でも金持ちでも、選び放題だろうに」


「そうでもありません」




 などと他愛もない世間話をしつつ町を案内してもらったものだが、夕刻にはやっぱり酒場に入って蒸留酒を飲み始めることになった。


「やっぱり飲むんじゃないですか」


「決まってんだろ。何しに来たんだお前」


「お酒を飲むためじゃありません」


「じゃあるかい?」


 ポーラさんはにやりと笑って剣の柄を叩いた。


「どっちかしかないんですか!?」


「そうだよ。おのれを鍛えて、敵ぶった斬って、生き残ればまた酒を飲めるんだよ。他に何があるってんだ」




 ふと思った。この人は『あかね色の剣士』エアリー、あの子と似ているところがある。

 エアリーはあまり物事を深く考えず、単純化して考えるところがある。もしポーラさんもそうなら、上手くすれば帝国の情勢に関する情報が得られるかもしれない。


 そこで私は少し酔ったふりをして、悩みを打ち明けるていで聞いてみた。


「……で、なかなか手紙の返事が返って来なくなったんです。私、もしかしてカチュアに嫌われちゃったんでしょうか」


 ふん、と鼻を鳴らしてポーラさんは一度目をつむり、再び開いたときには猛禽もうきんのごとき殺気を放っていた。


「お嬢ちゃん、それで愚鈍ぐどんよそおったつもりかい?甘く見られたもんだね」


 その殺気と言葉を受けて全身から汗が噴き出した。

 同時に後悔した、この人を甘く見てしまったことを。


「すみませんでした。実は私、帝国内の情勢を探る任務を帯びて参りました」


「いいね、素直な子は嫌いじゃないよ。なら私も正直に答えてやるとするか」


 ポーラさんの眼光がやわらぎ、楽しげに琥珀色の蒸留酒をあおった。満足げな息を吐き出すのと同時に私の杯を指差したので、仕方なく私もそれにならう。




 豪胆なポーラさんが珍しく声をひそめて言うには、カチュアはユーロ侯爵領を離れ、上級武官として帝都に勤めているらしい。

 だが多くの兵を与えられるわけでもなく、ただ帝都周辺の警備をするのみ。これは武名高いカチュアを警戒して本国から切り離したのではないか、ユーロ侯爵家が新皇帝ゲルハルトに逆らわないための措置ではないか、と。


「行くんだろ?帝都にさ」


「……はい。そのつもりです」


 素直に肯定する。この人には言葉をいつわらない方がよさそうだ。


「顔見せてやれよ。あんたの手紙、すげえ楽しみにしてたぞ」


 私は一つうなずいた。この言葉だけで、わざわざここを訪れた価値があったというものだ。

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