ハバキア帝国潜入調査(二)

 まだ雪が降るには早い季節だというのに、吹きすさぶ風が木々に残った枯葉を残らず引きちぎってしまうかのようだ。

 砂埃すなぼこりと枯葉が舞い上がる街路。私は既にカチュアの祖国、ハバキア帝国の土を踏んでいた。


 まだエルトリアとの国境が封鎖されていないのは幸いだったが、帰りはどうなるかわからない。国境警備の厳重さ、住民の不安げな表情は、そのような不穏な想像をき立てるに十分だった。




 エルトリア王国の東側に位置するハバキア帝国で大きな動きがあったと知れたのは、四季折々の姿を見せる王都フルートが緑から黄色くよそおいを新たにした頃。


 ハバキア帝国の皇太子ゲルハルトが二年の歳月をかけて東方都市国家群の制圧を完了し、帝都に戻った。そこまでは良い。だが帰還したゲルハルトは先帝を廃し、自らが皇帝の座に就いたという。

 友好国であるエルトリアは帝国に駐在員を置いていたのだが、この一件の後すぐに退去を命じられ、以降は帝国内の情報を得ることが難しくなってしまった。




 エルトリア国王ベルナート陛下は事態を憂慮し、複数の諜報員を帝国に潜入させることを決めた。

 巡見士ルティアを三人一組として、これを二組。他にも単独で動く者が複数名いるらしいが、彼らの情報は私達にも知らされていない。


 私達巡見士ルティアは国王に直属するとはいえ、直々じきじきに指令を受けることもまた少ない。今回の任務はそれほど重要な任務ということだ。




「調査項目は以上だ。頼むぞ」


「復唱します。ハバキア帝国に潜入し、先帝の安否、諸侯の動向、新皇帝ゲルハルトの人柄、エルトリア王国への影響、帝国民の意識および経済状況を調査致します」


「フェリオ、ミハエル、ユイ、無理はするなよ。まずは無事に帰ってくれ」


「はい。必ずや情報を持ち帰ります」


 巡見士ルティアは基本的に単独行動だが、不正の調査など特に危険が想定される場合は三人一組で行動することもある。

 今回の任務は先輩のフェリオさん、同期のミハエルさんと行動を共にする。つまり『特に危険が想定される場合』であるということだ。




 ハバキア帝国西端、エルトリアと国境を接する町ヴァーミリオン。

 以前カチュアと飲み明かした思い出のある町だが、今では市街地の辻ごとに武装した兵士が立っている。


 私達が部屋を確保したのは、裏通りにある目立たない安宿。フェリオさんとミハエルさんは情報収集のため町に繰り出したのだが、小柄で子供のような見た目の私は夜の酒場ではかえって目立ってしまう。おとなしく留守番をして二人を待ち、部屋で情報を交換することにした。


「……とまあ、そんなところかな」


「さすがミハエル殿だね。情報収集力は随一という噂通りだ」


「どこでそんな話を仕入れるんですか?」


「とても女の子には教えられない場所だなあ」


 国境を越えてまだ最初の町だというのに、ミハエルさんはベルナート陛下が求める情報をほぼ掴んでしまっていた。




 ハバキア帝国の新帝ゲルハルトは今年三十一歳。皇太子時代から筆頭将軍を務め、敵には苛烈かれつで容赦がないと言われることも多いが、かと言って卑怯卑劣な人物ではないとの評もある。


 このたびも東方都市国家群の制圧という巨大な武勲を立てて帰還したが、その勇名を恐れた先帝から謀反むほんの疑いをかけられ、誅殺されかけたところを返り討ちにしたのではないか、というのが町の噂らしい。


 さらにミハエルさんの情報では、ゲルハルトの皇位継承については多くの諸侯が態度を保留しているという。信憑性しんぴょうせいに不安ありと付け加えながらも、カチュアの生家であるユーロ侯爵家も中立派、というところまで聞き出していた。


「さて、これだけ調べればいいだろ。そんじゃエルトリアに帰りますか」


「まだやる事ありますよね?前皇帝の安否とか、経済状況や国民感情なども調べないと」


「相変わらず真面目まじめ子ちゃんだねえ。いくら働いても給料同じだぜ?」


「だからと言って手を抜いていい理由にはなりません」


 ミハエルさんは三年前、巡見士ルティアに登用された時点で三十一歳だったはずだ。どうも掴みどころのない人で、適当なことを言っているかと思えば実は核心を突いていたり、訓練をさぼっている割に腕は確かだったりする。


 以前どのような仕事に就いていたのか、どうして巡見士ルティアを志望したのか何度か聞いてみたのだが、そのたびに違う答えが返ってきた。もうそういう人だと思うことにしている。


「そうだね。帝都でなければ掴めない情報もある。以前とどう変わったか比較したいところだ」


 最年長で安定した実績を持つフェリオさんが場をまとめて、それぞれの部屋に戻った。




 フェリオさんには軍学校入学前から様々にお世話になったけれど、巡見士ルティアとして行動を共にするのはこれが初めてだ。


 公職試験に合格した時にはお祝いをしてもらったし、年に数回は手紙を書くこともあったけれど、それも次第に仕事絡みの事務的なものになっていた。


 一時は素敵な年上の男性と憧れていた時期もあるが、今回長旅を共にするからといってうわついた気持ちは無い。なにしろ王国の存続に関わる重要な任務なのだ、そんな事を考えている余裕などあるはずがない。


 この道中で年齢を聞いてみると、もう三十代後半だよ、と苦笑いしていた。

 ふうん、私とは意外と離れているんだ。いや、別に恋人の有無を聞く気もないし、気になるわけでもない。


 そういえば、『女神の涙』を手に入れて姿を消したミオさんのことはどう思っていたのだろうか。別に聞いてみても良いのだけれど、それほど気になるわけでもないから聞かない。聞く必要もないと思う、別に。




 私は部屋の中だというのに、足で石ころを蹴る真似をした。

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