第五章 屍山血河の道

ハバキア帝国潜入調査(一)

 もう私の故郷と言っても良いだろう、山のふもとにひっそりとたたずむカラヤ村。

 どうしても半年に一度くらいになってしまうが、任務の帰りや長期休暇の際には必ず帰省するようにしている。


 私が今の両親と出会うきっかけになった小鬼ゴブリンの襲撃も、三度の討伐を経てすっかり無くなったようだ。あの時私が散々に壊してしまった女神アネシュカ様の像も綺麗に修復され、長閑のどかな村を見守っている。


 家に帰ってきたからといって特にやることも無いのだけれど、里帰りとはそういうものかもしれない。

 私の顔を見ただけで両親も弟も妹も喜んでくれる。帰ってくる理由などそれだけで良いのではないか、と今では思っている。親も家も足枷あしかせでしかないと思っていた私だというのに、ずいぶんと心境が変わったものだ。




 最初に会った頃は遊びに夢中で、目を離すとすぐ泥だらけになっていたクリアちゃんは八歳。

 滅多に出ることのない村の外に興味津々しんしんで、広いエルトリアの国土を巡り、様々な人や種族と出会い、時に妖魔や魔獣と戦うこともある私の仕事の話を、目を輝かせて聞いてくれる。


「ラミカちゃんとはそれから会ってないの?」


「そうなんだよね。そのうち会いに行こうとは思ってるけど」


「今頃何してるのかなあ」


「うーん……何もしてないんじゃないかな」




 エロガk……シエロ君は十一歳。

 やっぱり異性のことに興味津々しんしんで、村の女の子のスカートを毎日めくっては怒られている。たまに帰ると私も被害に遭ってしまうのでスカートは穿かないことにしているのだが、そうかと思えば自然に胸を触られるので油断できない。


「ロットにいちゃんは一緒じゃないの?」


「ずっと北の砦にいるよ。すっごくたくましくなってるんだから」


「ユイねえちゃんより強い?」


「うん。もう私じゃかなわないかな」


「でもバカでエッチなんだよね?」


「そういうこと言わないの」




 ロット君はカミーユ君と同じく北部方面軍に所属し、北方の山岳地帯と西方の『大樹海』に棲む妖魔や魔獣の警戒に当たっている。このカラヤ村とは地理的に離れていることもあり、なかなか帰省はできないようだ。


 私も『大討伐』の際にカミーユ君と、その帰りに少しだけロット君と会ったけれど、それももう一年前の話。


『私は巡見士ルティアに!』

『僕は将軍ヘネラールに!』

『俺は達人エスペルトに!』


 そう誓い合ったのは十五歳の春。

 あれから五年、二十歳になった私達はそれぞれの道を一歩ずつ歩んでいる。




「帝国にお友達がいたわよね。カチュアちゃんだっけ?」


 母がそう聞いてきたのは夕食を終えて、父と一緒に麦酒エールを頂いている時だった。


 れつくふりをして服の中に手を入れてくるシエロ君の額をぺちんと叩いて横に座らせ、麦酒エールが満たされた杯を置いて向き直る。


「はい、カチュアです。どうかしましたか?」


「皇帝が代わったらしいじゃない?ほら、お名前は何と言ったかしら」


「ゲルハルト陛下だ。何やら政変があったそうだが、その友達は大丈夫なのか?」


「……わかりません」




 帝国に属する侯爵家の息女であるカチュアとは頻繁に手紙のやり取りをしていたのだが、もう百日以上も音沙汰おとさたが無い。


 それだけならば珍しい事ではない。私はエルトリア国内を転々としているし、帝国の高級武官となったカチュアもすぐに連絡が取れる場所にいるとは限らない。長期任務を終えて王都に帰ると手紙が何通も届いていたこともある。


 なにしろ、お互い国の機密に触れることが多い身だ。場合によっては任務中に手紙を書くことができなかったり、検閲を受ける場合もある。彼女に何かあったとすればユーロ侯爵家から何かしらの連絡があるだろう、その点については心配していない。




 だが。確かに今、カチュアの身辺は穏やかではないはずだ。


 この田舎村にまでそのような噂が流れているのだ、当然ながら国の情報機関に属する私はもっと詳細な情報を得ることができる。


 いわく、ハバキア帝国皇太子ゲルハルトが東方都市国家群を制圧、その後帝都に凱旋がいせんするやいなや皇帝の座に就いたという。先帝の安否その他、帝国内の情勢は現在のところ不明。




 私は両親の顔を等分に見て、つとめて落ち着いた声で告げた。


「次の任務は少し長くなりそうです。しばらくは連絡も取れませんが、どうかご心配なく」


 ご心配なくという言葉を受けて、逆に心配そうな顔を向けてくる両親。申し訳ないけれど、巡見士ルティアの任地やその内容については家族にも明かすことはできない。




 次の任地はハバキア帝国、任務は帝国内の情勢調査。私の初めての国外任務は、カチュアの祖国への潜入だった。

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