人の姿をした獣(三)

 カーマイン砦で雑用の仕事を始めて三日。仕事は忙しいがそれほど大変でもないし、少しずつ周りの様子が見えてきた。


 この砦には二十人を一個小隊として、五個小隊が詰めている。

 朝食後に一個小隊が砦の外に出て亜人種自治区を巡回し、夕方には戻ってくる。

 それと入れ替わるようにまた一個小隊が砦の外に出て巡回を行い、翌朝には戻ってくる。

 残りの三個小隊のうち二個小隊は砦にて終日待機、一個小隊は完全休養。




 この運用法に特筆すべきものはない。だが問題はその兵士達にあった。


「ああ?まだ晩メシできてねえ?馬鹿かてめえら」


「俺ら巡回で疲れてんだわ。メシぐらいすぐ作れ、くずども」


 巡回から戻るなりこれだ。その巡回自体、一刻ほども早く切り上げてきたのだから夕食ができているはずもない。


 中でも特にひどいのは、アルバール小隊に所属するヤサクという男。町から娼婦しょうふを呼ぶ、待機中に酒盛さかもりをする、特務と称して勝手に町に繰り出すなどやりたい放題で、小隊長アルバールも中隊長ボナンザも何故かそれを放置しているという有様だ。




「おい、俺ら外にいるからよ。メシできたら持って来いや」


 言い残して食糧庫から勝手に酒瓶を持ち出したのは、そのヤサク。中背だが肩幅が広く胸板も厚く、顔にはいくつもの傷が刻まれている。

 あまりの粗暴さのため兵士からも私達雑用係からもうとまれているが、この砦で一、二を争う猛者もさであるため逆らう者もないという。




「ほら、できたぶんから持って行きな。……あんた達しかいないのかい、気をつけるんだよ」


 夕食を作っているベラさんから声を掛けられたのは私ともう一人、エルフリーデという女の子。


「エルちゃん、私の後についてきて。重かったら言ってね」


「うん。ありがとう」


 慎重に私の後をついてくるこの少女は生まれつき目が悪く、ほとんど人の区別もつかないほどだという。体つきも小柄な私よりさらに小さく細く、いつも皆から心配されている。


「ここから外に出るよ。足元に気をつけて」


「慣れてるから大丈夫。アイシャは優しいね」


 こんな純真な子に名前と立場をいつわるのは本意でないけれど、この子のような弱い立場の人を守るための任務だと自分に言い聞かせる。




 兵舎の外では既に、ヤサクとその取り巻き達の酒盛りが始まっていた。巡回とやらで狩ってきた獣肉を焼き、瓶のまま酒を喰らい、町から呼んだ娼婦しょうふの肩を抱いて何やら盛り上がっている。


 その間を縫って二人で夕食を届けに来たのだが、ヤサクに足を掛けられたエルフリーデが盛大に転んでしまった。料理の入った深皿が宙に舞い、作られたばかりの鶏肉のスープをその身に浴びる。


 湧き上がる哄笑こうしょう。私はエルフリーデの手を取って立ち上がらせようとしたのだが、事はこれだけでは終わらなかった。


 頭の上でもぞもぞと何かが動く気配がしたかと思うと、小さな頭の上に何か液体が降ってきた。鼻をつくような匂いのその液体が尿だと理解するのに、ややしばらくの時間が必要だった。


「あーあ、使えねえな。作り直して来い、とりガラ女」


 さすがにこれには周りの者も声を吞んだものだが、ヤサクに睨まれた兵士は情けない笑みを浮かべて取り繕った。




「着替え持ってくるね。ここで待ってて」


「私なんていいのに。アイシャはほんとに優しいなあ」


 井戸から水をみ、そのおけを小さな手に握らせて兵舎に戻る。


 私は自分の幼少期を幸薄さちうすいものと思っていたし、自らの努力でそれを克服こくふくしたという自負もある。


 でも、これは。限度というものがある、人にはおかしてはならない尊厳というものがある。それが守られない場所だと言うのなら……




 この子は私が守るしかない。

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