人の姿をした獣(二)

 事前の情報によると、このカーマイン砦には男爵家に属する百名ほどの兵士と、その補助的な役割を果たす同数ほどの民間人が暮らしているはずだ。


 道をたずねて兵舎に向かい、仕事中の雑用係らしき方に声を掛けると、恰幅かっぷくの良いベラさんという中年女性のところに案内された。どうやら砦内の雑事はこの人が仕切っているようだ。


「ふん、何しに来たのさ。ここはあんたみたいな子が来るところじゃないよ」




 上から下までながめられた挙句、初対面だというのにそう言い捨てられてしまった。

 だからと言って帰るわけにもいかず、衣服が満載された洗濯かごを抱えて歩く大きなお尻の後をついていき、洗濯物を物干し竿ざおに掛ける仕事を手伝う。


 何度もそれを繰り返したかと思うと、休む暇もなく夕食の準備。あわたただしいけれど、子供の頃の経験でこのような仕事には慣れている。


「あんた、こっちはいいから食堂の準備をしてきな。床を掃いて、テーブル拭いて、食器も補充して。もたもたするんじゃないよ」


「あ、はい」


 言われた通りに掃除をしていると、間もなく十数人の兵士さん達が入ってきた。なんとか間に合ったと安堵あんどして、両手にお盆を抱えて頭を下げる。


「あん?お前、見ない顔だな」


「あ、はい。今日から参りました。アイシャと申します」


「へえ、可愛い名前じゃねえの。また後でな」


 ぺちんとお尻のあたりを叩かれたのは激励と取れば良いのか、それとも単に体を触りたかっただけだろうか。




 兵舎の食堂で忙しく給仕きゅうじをしつつ、私は視界の端でその姿を認めた。

 長身で均整の取れた体に比べて顔立ちはやや幼く、波打つ金色の髪を耳が隠れるほど伸ばした若者。


 アルバール・イスト、軍学校の後輩。


 今回の潜入の目的はこの男と言って良い。彼は半年前の剣術大会をきっかけにカーマイン男爵につかえ、小隊長としてここに籍を置いている。

 そして様々な不正行為に手を染め、亜人種を手に掛けているとさえ言われているが、果たして事実だろうか……




 だが考え事をしている暇は無い。給仕きゅうじ、後片付け、食器洗い、掃除と一通りの仕事を終えた頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。


 ようやく一息ついて雑用係の部屋に戻ると、月明かりが差すだけの薄暗い中でベラさんだけが座って煙草たばこを吹かしていた。


「ふん、逃げ出さなかったのかい。あんたみたいに真面目で働き者の子が来るところじゃないんだよ、ここは」


「……他の子達はどうしたんですか?」


 不思議に思ったのだ。ベラさんと私の他にも数人、比較的若い雑用係の女性がいたはずだ。彼女らはどこに行ったのか。


「小遣い稼ぎだよ。あんたはいいのかい?」


「……」


 薄い壁の向こうから、男の騒ぎ立てる声と女の嬌声きょうせいが届いてくる。


 そういえば夕食を終えた後、確かに何人かの女性が兵士達と連れ立って別室に入って行った。そういうことか。

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