人の姿をした獣(一)

 雪解けで生まれた小さな川が、足元を右から左へと横断していく。

 前にも通ったこの橋は一見無意味に思えたものだが、この季節のためのものだったかと合点がてんする。


 道の端には春を告げる植物達。ふきのとう、つくし、タンポポ……と数えて、全て『食べられる野草図鑑』に載っていたことを思い出す。控えめに咲くすみれの花が、しばらく会っていない親友を思い起こさせる。




 亜人種自治区に隣接するカーマイン男爵領、その中で最も栄えるミカウラの町。


 半年ほど前にここで開催された剣術大会では、『あかね色の剣士』エアリー、軍学校の後輩アルバールと再会したものだ。


 だが今日。再びこの地を訪れたのは、数多あまたの妖魔や魔獣と戦ってきた私にとっても特に血生臭ちなまぐさい理由からだった。




 カーマイン男爵領は亜人種自治区との境に、亜人種や獣人を監視し彼らの侵入を防ぐためのとりでを有しているが、そこで数多くの不正行為が行われているというのだ。


 それも物資の横流しや横領の類だけでなく、殺害した亜人種や半獣人の体の一部を売買するというおぞましい行為。亜人種はそれに対抗して自警団を強化し、腕利きの傭兵を雇っているとも聞く。




 翼人族ハルピュイアの翼、蜥蜴人リザードマンの表皮、一角族コルヌスの角、それらは闇の好事家こうずかの間で非常な高値で取引されている。

 その需要を満たす窓口がカーマイン男爵であり、直接手を下しているのはその配下となったアルバールという男ではないか、というのが王都に寄せられた情報だった。


 アルバール・イスト。ジュノン軍学校の一年後輩で、『俊才』との呼び名も高い剣士。


 軍学校の卒業記念試合、この町で開催された剣術大会と二度剣を交えたものだが、彼の華麗な剣技は多くの者を魅了したほどで、並みの者では剣を合わせることすら難しいだろう。




 ミカウラの町から一刻も歩けばたどり着くこの砦は、単に領主の姓をとって『カーマイン砦』と呼ばれている。

 兵士と民間人、合わせて二百人余りが暮らしているという、その城門前。短槍を手にした兵士が私を呼び止めた。


「止まれ。名前と用件を告げよ」


「アイシャと申します。軍の雑用係に応募しました」


「よし、通れ」


 砂岩造りの砦は古く小さく、人の出入りも少ない。出入りの商人の他には訪れる人も無いようだ。


 黒く染めた肩までの髪、すそが裂けた粗末な衣服。食い詰めた貧しい少女という姿は、演技をするまでもなく私の身にみついているものだ。愛用の細月刀セレーネが腰に無いのは寂しいが、このたびの任務にはさすがに持ち込めない。




 こうして私は兵士の生活や応急手当のための雑用係、アイシャという名前でカーマイン砦に潜入した。

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