王国魔術師フレッソ・カーシュナー(三)

 王宮の中庭にはまだ雪が残っているが、差し込む陽射しは早くも春を思わせる。

 王都フルートの春の訪れは遅いものの、一度温かくなってしまえば色とりどりの花々が咲き誇り、人々の服装まで華やかになる。




 だが廊下の奥から現れた一団は、そのような穏やかさとは無縁の仰々ぎょうぎょうしさだった。

 豪奢ごうしゃな深紅のローブを羽織った赤毛の男、フレッソ・カーシュナー。王国魔術師への就任が決まっている彼と、それを取り巻く者たち。


「やあ、巡見士ルティアユイ・レックハルト。奇遇だね」


「……」


 私は目を伏せ、彼らが通り過ぎるのを待った。

 この男はリゼルちゃんをもてあそび、権力を握るために利用した挙句に切り捨てた。顔を見るのが不愉快などという次元の問題ではない、この男の顔を間近で見て平静でいられる自信がなかった。


 王国魔術師はエルトリア王国にたった三人、当代に限れば爵位に等しい権勢を有することになる。

 自分が見下されるのはともかく、この世界の人々すべてを見下している者が巨大な力を得てしまったことが腹立たしい。私ではもう手の出しようがない相手になってしまったことが悔しい。




 薄手の外套コートを羽織り、王宮の敷地を出て待ち合わせの店へ。

 黒色で統一された趣味の良い喫茶店だ。温かい珈琲コーヒーを注文して指定の席に。既に待ち合わせの相手である、俗な表現で言えば『絵になる』若い女性が白い陶器のカップを前に本を読んでいた。無理なく視界に入るようにして向かいの席に座る。


「お待たせしました」


「いえ、時間通りよ。私が本を読みたかっただけ」


 ミオ・フェブラリー。巡見士ルティアの先輩であり、『絶世の』という枕詞まくらことばが外せないほどの美女。この美しすぎる容姿は密談に向かないのではないかとさえ思うほどだが、逆に普通の男が声を掛けられる水準ではないのかもしれない。ミオさんは遠巻きの視線を華麗に無視して薄桃色の唇を開いた。


「もう聞いたわよね?新しい王国魔術師のこと」


「はい。『あの男』です」




 王国魔術師の一人が高齢を理由に引退すると聞いたとき、私は友人のラミカを推薦しようとしたのだが、本人にその気がなく断念せざるを得なかった。

 しかしまさかあの男が選ばれるとは。魔術師としての実力はラミカに遠く及ばず、たいした実績も上げていないというのに。


「短期間でメルケ村を発展させた手腕、行政官としてクルスト男爵領を治めた実績、広い人脈、それらが評価されたそうよ」


「手腕、実績、ですか?犯罪歴ではなく」


「ふふ、手厳しいのね。無理もないわ」


 彼がメルケ村で行っていたのは自己神格化と自分を頂点とする階級制度の構築だし、クルスト男爵領では禁忌とされる人形兵ペルチェを操った。いずれも私の追及を逃れたばかりか、いつの間にか功績扱いされているなど理解できない。これも所有者に並外れた幸運をもたらすという『女神の涙』の効果だとでも言うのだろうか。


「許せない?あんな男が王国魔術師なんて」


「……ええ」


「そうよね、私もそう思うわ。彼は危険よ、もしかするとこれでは飽き足りず、王位まで狙うかもしれない」


「そんな大それたたくらみが成功するとは思えません」


「本当にそうかしら?『女神の涙』の加護があっても?」


「……」




 私はこの時、不自然さを感じてはいた。ミオさんはこのような物言いをする人だっただろうか。


「ねえ、ユイ。例の件は考えておいてくれた?」


「……はい」


「じゃあ決まりね。準備を進めてちょうだい」


 例の件。王国魔術師フレッソ・カーシュナーを罠にめる算段のことだ。以前から魔術を使って彼の罪を暴くことができないかとミオさんに相談を持ち掛けられており、具体的な手段も打ち合わせてある。

 だがこの段階になって私が躊躇ためらったのは、いかに罪深い男とはいえ魔術をもっておとしいれることに罪悪感を覚えていたこと、ミオさんが私をきつけているように思えたことが理由だ。


「……わかりました」


 だが最後には、急速に成り上がるフレッソへの危機感とミオさんへの信頼が勝った。すっかり冷めた珈琲コーヒーを口に含み、白い陶器のカップを戻して立ち上がる。




 ずっと後になって私は思った。このような作戦を実行しようがしまいが、いずれにしても良い結果にはならなかったのではないだろうか。

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