王国魔術師フレッソ・カーシュナー(二)

 この回のみ、宿敵フレッソ・カーシュナーの視点でお送りします。




 ひどい二日酔いだ。いや、ここのところ酒宴続きで何日目の二日酔いなのかもわからない。


 俺は酒が好きなわけではないし、酒を美味うまいと思ったこともない。ただその時だけは気分が良くなるから、周りと上手くやれている自分を認めてやることができるから飲む、ただそれだけだ。


『私』も似たようなものだった。酒の席といえば不愉快なことばかり。やたらと強い酒を勧められたり偉そうに説教をされたりは茶飯事さはんじで、体を触られたり気持ち悪い顔を近づけられたり押し倒されたりしたこともある。


 思えば『私』は、女性というだけでさんざん理不尽な扱いを受けてきた。体の関係を断れば内定を取り消され、上司からも取引先からも関係を持ち掛けられては、拒絶するとあらぬ噂を立てられた。


『私』の最期はどうだったろう。もう思い出せないし、思い出したくもない。風呂場で手首を切ったか、崖から飛び降りたか、川にでも飛び込んだか、どうせろくな最期ではなかっただろうから。




 そしていつの間にか始まっていた『俺』の人生も、それは酷いものだった。

 田舎村で共有の奴隷としてこき使われ、怪我をしようが病気で倒れようがまるで救いの手は無く、薄いスープ一杯と硬いパン一切れで朝から晩まで働かされた。

 唯一の希望は一つ年下の女の子だった。もう顔も忘れてしまったが、愛嬌あいきょうのある聡明な子で、いつか一緒に村を出ようと約束したものだ。


 だが、ついにその日は来なかった。その子が人買いに売られると知って一緒に村を抜け出したが、すぐに見つかって散々に殴られ蹴られ、死にかけの俺は夜の森に放り出された。女の子のその後は知らない、おそらくありがちな末路を辿たどったのだろう。


 狼に喰われかけた俺を助けたのは旅の魔術師だった。その時ばかりは奴に感謝したものだが、それは俺が美しい少年だったからだ。結局俺は村にいた頃と同じように、いやそれ以上に屈辱的な仕打ちを受け、家畜のように飼われて二度目の人生にも絶望することになった。


 ただ幸いにも、俺には魔術の才があった。奴の目を盗んで魔術書を読みあさり、血を吐く思いで修練を重ね、とうとう初歩の魔術を習得したとき俺は狂喜した。奴を背中から刺して自由になった俺は、誰にも頼らず誰とも慣れ合わず、他人を踏みつけて欲しいものを手に入れた。


 例えば名前もそうだ。フレッソ・カーシュナーという奴を殺し、その肉親を全て始末して手に入れた。おかげで軍学校に入学してさらなる力を身に着けることができた、俺の人生はここからだ。そう思っていた、あの女に出会うまでは。




貴方あなたこそこの世界の住人なら、この世界の法に従うべきです』


貴方あなたがしている事はただの復讐です。大袈裟おおげさな事を言っている割に、やっている事は弱い人々への八つ当たりでしかありません』




 ユイ・レックハルト。巡見士ルティアの権限を振りかざし、事あるごとに俺の前に現れては邪魔をする。俺と同じように前世の記憶を有しながら、この世界に生きる者のために尽くすという。

 甘ったれた考えだ。あの女は家族だの、友人だの、幸運だの、あらゆるものに恵まれて育ったに違いない。


 ……もし、もしだ。俺がもう少し早く魔術の力を手に入れていたら。魔術を使って、あの子と共に逃げおおせることができていたら。俺も誰かのために陽の当たる道を歩むことができただろうか。


 だがもう遅い。夢、希望、未来、尊厳、人並みの生を歩むには、あまりに多くのものを奪われすぎた。力、金、女、地位、権力、名誉。俺が奪われたものに比べれば、あまりにちっぽけなものばかりだ。




『見ているんでしょう、フレッソ・カーシュナー!』


『……私は絶対に貴方あなたを許さない』




 まるで醜いものを見るように、光の中から地の底をのぞき込むように、あの女は俺を見下した。

 お前などに俺のことがわかるものか。絶対に許さないのは俺の方だ。


畜生ちくしょう目障めざわりな女め……」


「なあに、誰のこと?昔の女?」


「うるさい、黙ってろ」


 昨夜同衾どうきんした女が目を覚ましたようだ。一夜を共にしたくらいで恋人気取りか、これだから女というやつは鬱陶うっとうしい。




 黄金色で縁取りされた深紅の外套ローブを羽織り、部屋を出る。もう十日もすれば就任式が執り行われ、エルトリア王国の紋章が刺繍ししゅうされた外套ローブ下賜かしされることになるだろう。


 大理石の廊下を鳴らして歩を進めると、名も知らぬ奴らが左右に分かれ、頭を下げた。


 王国魔術師か、悪くない。位人臣くらいじんしんを極めるといったところだが、俺はこれで満足するような男ではない。


 王。そうだ、『王』だ。なんとも心地良い響きではないか。

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