王国魔術師フレッソ・カーシュナー(一)

 分厚い雲が空を覆い、際限なく白いものが舞い落ちてくる。枝に止まるからすが身を震わせる。


 王立魔術学校で調べものを済ませ、任務を三日前倒しで終わらせて王都に帰って来た私を待っていたのは、信じがたい凶報だった。




 フレッソ・カーシュナー、王国魔術師に就任。




 そんな馬鹿な。最果ての村メルケでの一件を不問に付されたことさえ不自然だというのに、クルスト男爵家での騒動さえ握りつぶされてしまった上に、今度は王国魔術師に就任などと。


「リース、話は聞いたよ。あのフレッソが王国魔術師なんてね」


「うん。それがね……」


 私の推薦で王宮付き魔術師となったリースは今、使用人用の宿舎に一室を借り受けている。

 これは国の要職である『王国魔術師』とは異なり、魔術を用いて王宮の動力供給や環境整備などを行う、いわば雑用係だ。

 先日まで勤めていた男爵家を追われ、落ち込んでいる様子はいなめない。私にも責任の一端があるので申し訳ないのだけれど、ひとまず定まった仕事に就くことができたと感謝してくれた。


 そのリースが語るところ、王国魔術師の候補は他に二人いた。だが一人は魔術の実験で重傷を負い、もう一人は横領が明るみに出て、ともに直前で脱落してしまったらしい。


「それは本当?誰かに仕組まれたとかじゃなくて?」


「わからないけど、そういう噂だよ」


 いくら何でも時機タイミングが良すぎる、まるでフレッソの邪魔になる者が勝手に転げ落ちていくようだ。

 思い返せば先日の戦いはフレッソ本人というよりも、彼を守る得体の知れない力と戦っているようなものだった。彼を仕留めようとすると炎や突風にさえぎられ、あと一歩というところでリゼルちゃんが現れ、結局は逃してしまった。


 これが『女神の涙』の加護だとでも言うのだろうか。だとすれば幸運や豪運などというものではない、運命をじ曲げるほどの力だ。私はとんだ思い違いをしていたのかもしれない。





 厚手の外套コートに雪が降り積もる。屋根に止まるからすの黒がやけに目立つ。


 噂の真偽を確かめるため、フレッソの動向を探るため、さっそく私は聞き込みを始めた。というよりも王宮周辺はその噂で持ち切りだったため、勝手に情報が集まって来たという方が正しい。


「新しい王国魔術師様、もう御覧になりました?細身に燃えるような赤毛の、かなりの美男よ」


「先日の酒宴パーティーでは、もう幾人もの女性から声を掛けられていましたわ。どなたが彼を射止めるのでしょうね?」


 宮廷の噂を主食とするご婦人方の間では、フレッソの美貌が広く話題に上っているようだった。そして彼と恋仲であったはずのリゼルちゃんに関しては。


「リゼル様?可哀想だけどもう釣り合わないでしょうね。今をときめく王国魔術師様と没落貴族の娘ですもの」


 聞き込みを進めるたび、私のはらわたは煮えくり返る。


 フレッソはやはりリゼルちゃんをたぶらかし、『女神の涙』を手にして権力の階段を駆け上がると、いとも簡単に切り捨てた。それを示すように彼はもはや男爵家に寄り付かず、王国魔術師就任の準備と称して連日酒宴を開いているという。




『お供の魔術師を連れて買い物よ。そうだ、前に買った向日葵ひまわりの種、立派に咲いたわよ!秋には百倍にして返してあげるわ!』


『リース、ユイ、今日は……ありがと。二人でゆっくり昔話でもなさいな』


『リースから聞いたわ。一緒にお菓子作りしたいんですって?いいわよ、教えてあげる』




 お菓子作りが得意なリゼルちゃん。少し我儘わがままで生意気で、でも気遣い上手なリゼルちゃん。

 まだ十五歳、心にどれほど深い傷を負ったことだろう。ろくに恋も知らぬ女の子を権力のためのにえとするなど、あまりに酷い。私も結果的にそれに手を貸してしまったことが悔しい。




「……見ているんでしょう?」


 天蓋が紫色に染まった頃、私は石畳に降り積もる雪の上で足を止めた。枯れ枝の上で一日じゅう私を見張っていたからすが首を傾げる。

使い魔ファミリアー】は一日だけ小動物を従属させるとともに五感を共有する魔術。かえる、猫、からすふくろうなどが多く、偵察などの用途に使われる。




「見ているんでしょう?安全な場所で、自分だけは傷つかずに」


 今日もそろそろ酒宴が始まったはずだ。あの男はぜいを尽くした華麗な王宮で、きらびやかなグラスを傾け、鮮やかな色の美酒を口にしているのだろう。私は歯を食いしばり、左手の指輪に意識を集中させた。




「見ているんでしょう、フレッソ・カーシュナー!」


風の刃ウィンドスラッシュ】の魔術が枯れ枝を切り飛ばし、姿勢を崩したからすが抗議の鳴き声を上げつつ飛び去っていった。




「……私は絶対に貴方あなたを許さない」

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