行政官フレッソ・カーシュナー(九)

 全身を【影の束縛シャドウバインド】の黒い触手に縛られ、上空から石造りの魔像ガーゴイル鉤爪かぎづめを光らせて迫る。

 だが私は諦めたわけではなかった。何があっても最後まで生き抜くと決めているし、友人を信じてもいたから。




「内なる生命の精霊よ、我が魔素と共に宿りて魂の輝きとなれ!【魔術抵抗レジストマジック】!」


 か細い声で詠唱したのは私ではない。この場にいるもう一人の魔術師であり、私の大切な友人、リース。

影の束縛シャドウバインド】のいましめが緩む。全身に力を込めて触手を振り払う。そして頭上に迫った魔像ガーゴイルに対しては体が勝手に動いた。


 親友から学んだのは剣術だけではない、夏合宿では格闘術も身に着けた。迷いなく細月刀セレーネを手放し、魔像ガーゴイル鉤爪かぎづめの生えた腕を掴むと同時に体をひねり、石畳の地面に叩きつける。カチュア直伝の背負い投げショルダースローが完璧に決まり、石像と石畳が粉々に砕け散った。フレッソの舌打ちが耳に届く。




「ワードラーの出来損できそこないが!どうなるかわかってるんだろうな?」


「でも、でも……私、ユイちゃんだけは裏切れない!」


「信じてたよ、リース。あとは任せて!」


 魔術の大家に生まれながら魔術の才に恵まれなかったリース。気が弱く両親の言いなりになっていたのは、おそらくそのい立ちが原因だ。

 このクルスト男爵家に仕えることになったのは、生家であるワードラー家の伝手つてだと言っていた。その男爵家を牛耳ぎゅうじるフレッソに逆らうのは断崖から飛び降りるような、いや、幼鳥が意を決して巣から飛び出すようなものかもしれない。


「無能が!出来損できそこないが!くそ生意気な女どもが!」


 フレッソの頭上に闇色の球体が三つ浮かぶ。【暗黒球ダークスフィア】の魔術、だがこれまでと違い動揺がうかがえる。球体の形が乱れているし動きが安定しない。

 彼は怒っているのではなく焦っているのだ。魔術の威力は術者の精神状態に大きく左右される、これならば魔力に劣り満身創痍まんしんそういの私にも勝機がある。


「我が内なる生命の精霊、来たりて不可視の盾となれ!【魔術障壁マジックバリア】!」


 虹色の障壁に闇が弾けた。それは共に砕け散り、無数の破片をまき散らす。その中を突っ切って懐に潜り込み、鳩尾みぞおちひじ打ちを叩き込む。

 低くうめいて仰向けに倒れる赤毛の魔術師。地面の細月刀セレーネを拾い上げとどめを刺すべく駆け寄ろうとして、強風にあおられた炎に行く手をはばまれた。


「嘘……また!?」


 先程も同じような偶然に阻まれたばかりだ、今だって細月刀セレーネを手にしていれば一突きで決まっていたはずだ。私が優勢になると必ずおかしな偶然が邪魔をする、まるで彼が並々ならぬ幸運に守られているかのようだ。もしかしてこれが『女神の涙』の力なのだろうか?


 そして、運命はさらに依怙贔屓えこひいきをする。




「やめなさい!あんた達、ここをどこだと思ってんのよ!」


 駆けつけたのはリゼルちゃん、これほどの騒ぎに彼女が気付かない訳はない。だがもう少し、十数秒の時間があればフレッソを仕留めることができたというのに。


 そのフレッソはリゼルちゃんの前にひざまずき、枕元でささやくような甘い声を吐き出した。


「すまない、リゼル。でもどうか信じてほしい、君とクルスト男爵家を救えるのは僕だけだと」


「リゼル様、だまされないで!この男はあなたを利用して……」


「……リース。今日限りでいとまを出すわ、荷物をまとめて出て行きなさい。ユイ、あんたもよ」


 リゼルちゃんの肩を抱いて去るフレッソ、その口元が嫌らしくゆがんでいるように思えたのは私の想像でしかない。彼は一度もこちらを振り返らなかったのだから。


 リゼルちゃんには私の言葉が届かなかったのだろうか。いや、あの子はきっとフレッソに利用されていることに気付いている。

 だがその聡明さゆえ、男爵家を再興するには彼に頼るしかないことを承知してもいる。さらには家宝でもあり、所有者に並外れた幸運を与えるという『女神の涙』を渡してしまっては、もはや後戻りもできないのだろう。




 この一連の経緯は私から王都に報告したものの、公式な記録としては残されなかった。

 人形兵ペルチェの残骸が消失していたこと、焼け残った資料に法に触れるような物が見当たらなかったことがその理由だ。私としてはフレッソとの私闘と認められた上で共に処罰を受けることを覚悟していたのだが、それさえも叶わなかった。



 男爵家を追われた魔術師リースは私の推薦で王宮付き魔術師の職に就いた。彼女はやはりフレッソと共謀していたわけではなく、突然現れた彼に驚いて動転していただけのようだ。泣いて謝るばかりのリースをなだめてそれを聞き出すのに、しばしの時間を必要としたものだ。




 だが私達は良いとして、リゼルちゃんは完全にフレッソの手中に落ちてしまった。性質たちの悪い蜘蛛くもの巣に絡め捕られた彼女を救うには、どうすれば良いのだろうか……




 ◆


 (5/13追記)この章の前半部分を修正しています。


 身に余るほどのフォロー、ハートなど有難うございます。さらにレビュー、ギフトまで頂いてしまい恐縮です。ご期待に沿えるよう努力しますので、どうか最後までお付き合いください。

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