行政官フレッソ・カーシュナー(五)

 前回のクルスト男爵家の調査から五十日余り、私はまたしても城下町フランの坂道を上っていた。あの時は荷物を両手に抱えて大汗をかいたものだが、今日は水色の空が高く吹き抜ける風が涼しい。秋の訪れが近いのだろう。


 男爵家に関する調査は進展していない、それどころかフレッソ・カーシュナー、あの男が領主代行として赴任するなど状況はむしろ悪化している。


 私もこの家に仕えるリースが心配ではあったのだが、農業地域の水利を巡る権利調整という別件の任務に意外にも手間取り、もどかしく日を重ねてしまった。


「ユイちゃん!待ってたよ」


 だが何とか間に合った。息を弾ませて坂を上り切った私を出迎えたのは、控え目に手を振るリース本人だった。


「ふう……相変わらず長い坂だねえ」


「ごめんね、他のお仕事で忙しかったんでしょ?」


「こっちこそ待たせちゃってごめん、でも間に合って良かった」


 間に合った、というのは、この日を逃せば次の機会がいつ訪れるかわからないからだ。領主代行フレッソは昨日から領内の巡察に出かけており、明日まで戻らないという。


 その間にやっておきたい事がいくつかあるのだ。現状を把握し、リゼルちゃんにフレッソの危険性を説き、最低でも注意をうながしておきたい。




「ユイ!久しぶりね。あんた巡見士ルティアなんですって?隠すなんて人が悪いわ」


「リゼル様、その節は申し訳ありませんでした。隠すつもりは無かったのですが、あの時はリースの友人として参りましたので」


 リゼルちゃんには申し訳ないけれど、これは嘘だ。私は最初から身分を隠して男爵家の調査を行っていたし、それは現在も進行中だ。ただし今ではほとんど行政官プロクラトルフレッソに関する調査と言って良い。


「リースから聞いたわ。一緒にお菓子作りしたいんですって?いいわよ、教えてあげる」


「ありがとうございます。ここのところ仕事が忙しかったもので、楽しみにしておりました」


 これは嘘ではなく方便と言って良いだろう。リゼルちゃんから様々なことを聞き出すためとはいえ、今日のことは本当に楽しみにしていたのだから。




 私もリースから聞いていたのだけれど、リゼルちゃんのお菓子作りの腕前はかなりのものだった。果物を切る手つきもカラメルを煮詰める手際も卵を泡立てる様子も手馴れたもので、やがて焼き上がった林檎の焼き菓子タルトタタンは王都の有名店と比べても遜色そんしょくのないものだった。


「すごい!こんなに綺麗に焼き上がるなんて。林檎りんごもつやつやで中まで柔らかくて、お店で売っているのより美味しそうです」


「ふふん、ちょっと自信あるのよね。他にも得意なものがあるから、またいらっしゃいな」


「リゼル様ったら、ユイちゃんが来るの楽しみにしてたんだよ。林檎りんごも卵も新鮮なものがいいって、今朝買い物に行ったの」




 ひとしきりお菓子の出来栄えと紅茶を楽しんだ後、私は仕事に移った。


「そういえばリゼル様、フレッソ先輩との仲はいかがですか?領主代行としてこちらに参ったとお聞きしましたが」


「え、ええ。彼にはお世話になっているわ」


「この城に住んでいるわけではないのですか?」


「ええ。フランの町に部屋を借りているみたい」


 他にもいくつか質問をしてみたが、どうも表情が冴えない上に話に乗って来ない。彼とはあまり上手くいっていないようだと見て取り、あとは当たりさわりのない話題に切り替えた。




 やがてリゼルちゃんは用事があると言って席を立ち、私とリースだけが食堂に残された。おそらく気を遣ってくれたのだろう、やはり我儘わがままで生意気に見えて周りが良く見えている子だ。私は空になったカップを押しのけて身を乗り出し、声をひそめた。


「それで、実際どうなの?リゼルちゃんとフレッソの様子は」


「たまに城にも来るけど、リゼル様に愛情を持っているようには見えないかな……」


「他の女にも手を出してるんじゃないの?」


「それは間違いないみたい。部屋に何人も女の人が出入りしてるって噂だし、私も声をかけられたもの」


「リースにも!?」


「怖い人だね。気を付けるようにユイちゃんから聞いてなかったら、どうなっていたか」


 リースは細い肩を自分で抱き締めた。フレッソ・カーシュナー、あの男は多くの女性が振り返る美貌と明晰な頭脳、多彩な魔術に加えて、今では所有者に絶大な幸運をもたらすという『女神の涙』を所有している。いつか彼が言ったように、『金も女も力も、何もかもこの手につかむ』つもりなのかもしれない……


「他に変わったことはない?特にあの使用人の女性とか」


「そのことなんだけど……」


 リースが言うには、フレッソは倉庫の一つを改造して何かの資料を集めている。そしてくだんの使用人がそこに入り浸り、ほとんど出てくることもないという。

 もしかするとその施設が、【風の声ウィンドボイス】の魔術を使用した盗み聞きの拠点なのだろうか。


「……わかった。夜になったら案内して」




 リースが言う倉庫は城の裏手、フランの町からは見ることができない場所にあった。

 古い土壁の建物は大きめの物置ほどで、後から付け足したような円蓋ドーム状の天井に石造りの魔像ガーゴイルが乗せられている。


 漆黒の空には銀色の小さな月と無数の星。密かに動くには少し明るすぎるけれど、ここを調べるならフレッソが留守の今しかない。


「我が生命の精霊、偽りの鍵となりてその封を解け。【開錠アンロック】」




 外にリースを待たせ、私は建物の中に足を踏み入れた。




 ◆

(5/13追記)この回を含む章前半部分を修正しました。

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