行政官フレッソ・カーシュナー(二)
フレッソが『女神の涙』を受け取ったというクルスト男爵家のことを調べると、偶然にもそこには私が良く知る人物が勤めていることがわかった。
リース・ワードラー、軍学校の同期生だった気弱な魔術師。彼女はそのお抱え魔術師になっているという。もしフレッソがリースに接触していればその身に危険が及ぶかもしれない。私はそう考え、残り五日間の休暇を返上して即日現地に向かった。
王都フルートから徒歩で二日。クルスト男爵家の城下町ともいうべきフランの町は、緩やかな起伏が連なる丘陵地帯にあった。斜面をそのまま利用した小麦や玉葱や茶などの栽培が盛んで、その多くは王都に送られている。
だが小高い丘の上からその町を見下ろす立派な城は薄汚れ、鉄製の門扉は錆びついて嫌な
「魔術師リースの友人で、ユイと申します。取次ぎをお願いします」
「……少々お待ちを」
出て来た使用人らしき中年女性も陰気さを
その不吉な光景の奥から長い黒髪の女性が現れて一瞬ぎくりとしたものだが、その正体は懐かしい旧友だった。色白の肌を漆黒の
「ユイちゃん、久しぶり。急に訪ねてくるなんてどうしたの?」
「リースがここに勤めてるって聞いて。突然ごめんね」
私は表向き
リースに紹介されたクルスト男爵は
リースの話によると一時は息子に
造られてからかなりの年月が経ったであろう城は広く大きくかつての隆盛を物語ってはいるが、掃除が行き届いていない上に大半の施設が閉鎖されていて、逆にうら寂しさを覚える。ただリースに招き入れられた彼女の部屋は質素ながら清潔で、季節の小物や暖色のクッションが温かい生活感を
「
「ふふ、飲み物は
「うん、ありがとう」
彼女は親の
ここの仕事はどう?と尋ねると、リースは細い首を
「どうなのかな。まだよくわからないけど、実家よりは気が楽かな」
「そっか、それなら良かった」
「でも、ここに来られたのも実家の
「焦ることはないと思うよ。一人で生きていくのって、それだけで大変だから」
「ユイちゃんはすごいなあ、
「それは自分でも頑張ったと思う。まだ半人前だけど」
だが旧友との語らいを楽しむ暇もなく、それこそ何の前触れもなく、いきなり部屋の扉が開かれた。そこに立っていたのは私達より少し年下だろうか、やや着古した絹服を着た女の子だった。
顔の造りは十分以上に
察するにこの子が男爵家に一人残された娘リゼル、あのフレッソ・カーシュナーに
「リース、買い物に行く予定だったでしょ?早く用意しなさいよね」
「はい。確か午後からと聞いていましたが……」
「気が変わったの!ユイだっけ?あんたも来なさい」
有無を言わさぬ口調。リースの申し訳なさそうな目配せを受けて、私も買い物とやらに付き合うことになった。
整備されない石畳の坂道を下りて城下町へ。少々意外に思ったのは町の人々の反応で、ことごとく生意気そうな言動を見せるリゼルちゃんに対して皆が温かい表情を見せるのだ。
「おや、リゼル様。今日はどれになさいますか?」
「今日はパンはいらないわ。明日また来るから豆パンとデニッシュとワッフルと、チョコたーっぷりのコロネを用意しときなさい!」
「リゼル様、おはようございます。今日はどのようなご用事で?」
「お供の魔術師を連れて買い物よ。そうだ、前に買った
それに加えて購入した物といえば、貴族らしからぬ日用品に加えて竹、
スープだけの簡単な昼食を済ませて、今度は城の玄関前にある花畑へ。比較的陽当たりが良いその一角だけが綺麗に整備されている。
「リース、それ持ってて。ユイ、あんたはこっち」
竹を地面に打ち込み、縦横に組み合わせて
さらに夕方からは食事の支度。昨日から煮込んであるという牛肉のシチューの味を調え、野菜を切って軽く
やがて外が暗くなるとリゼルちゃんはリースに何かを命じ、自分はどこかに向かったようだ。
私はリースに
「ごめんユイちゃん、手伝わせちゃって」
「うん。これは何なの?」
「今日は当主様の誕生日でね、リゼル様が自分で準備するって」
言いながらリースが【
「当主様は重い病気で、もう来年の誕生日は迎えられないかもしれないの。ご両親が事故で亡くなって自分一人しかいないから、リゼル様は必死になって……ごめんね、巻き込んじゃって」
その夜の食事は肉と野菜をよく煮込んだシチュー、体が冷えない温野菜のサラダ、ゆっくりと温めて
城下町の人々がリゼルちゃんに優しい理由がわかった気がする。あの子は
「リース、ユイ、今日は……ありがと。二人でゆっくり昔話でもなさいな」
◆
(5/13追記)この回を含む章前半部分を修正しました。
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