行政官フレッソ・カーシュナー(二)

 フレッソが『女神の涙』を受け取ったというクルスト男爵家のことを調べると、偶然にもそこには私が良く知る人物が勤めていることがわかった。


 リース・ワードラー、軍学校の同期生だった気弱な魔術師。彼女はそのお抱え魔術師になっているという。もしフレッソがリースに接触していればその身に危険が及ぶかもしれない。私はそう考え、残り五日間の休暇を返上して即日現地に向かった。




 王都フルートから徒歩で二日。クルスト男爵家の城下町ともいうべきフランの町は、緩やかな起伏が連なる丘陵地帯にあった。斜面をそのまま利用した小麦や玉葱や茶などの栽培が盛んで、その多くは王都に送られている。


 だが小高い丘の上からその町を見下ろす立派な城は薄汚れ、鉄製の門扉は錆びついて嫌なきしみを上げ、石畳の間から無数の雑草が生えている。


「魔術師リースの友人で、ユイと申します。取次ぎをお願いします」


「……少々お待ちを」


 出て来た使用人らしき中年女性も陰気さをただよわせ、吹き抜けの玄関広間ホールもその広さが逆に空虚な印象を与える。


 その不吉な光景の奥から長い黒髪の女性が現れて一瞬ぎくりとしたものだが、その正体は懐かしい旧友だった。色白の肌を漆黒の外套ローブで包み、古木の曲杖ワンドを手にした魔術師。


「ユイちゃん、久しぶり。急に訪ねてくるなんてどうしたの?」


「リースがここに勤めてるって聞いて。突然ごめんね」


 私は表向き巡見士ルティアとしてではなく、リースの友人としてここを訪れた。この友人は誠実で正直で、演技ができるような子ではないから。




 リースに紹介されたクルスト男爵はよわい八十を超える老人で、骨と皮ばかりの体に綿入れを着込み、毛布を膝に掛けていた。耳元でリースの友人であることを告げると、ごゆっくり、とだけ返事が返ってきた。

 リースの話によると一時は息子に家督かとくを譲ったのだが、その息子夫妻は昨年末に馬車の事故で亡くなり、十五歳の孫娘リゼルだけが残されたという。


 造られてからかなりの年月が経ったであろう城は広く大きくかつての隆盛を物語ってはいるが、掃除が行き届いていない上に大半の施設が閉鎖されていて、逆にうら寂しさを覚える。ただリースに招き入れられた彼女の部屋は質素ながら清潔で、季節の小物や暖色のクッションが温かい生活感をかもし出していた。


可愛かわいらしくて落ち着く部屋だね。リースらしいよ」


「ふふ、飲み物は珈琲コーヒーでいい?」


「うん、ありがとう」




 彼女は親の伝手つてでこのクルスト男爵家に仕え始めたという。だが確か彼女は価値観を押し付ける両親と折り合いが良くなかったはずだ、と学生時代に交わした話を思い出す。

 ここの仕事はどう?と尋ねると、リースは細い首をかしげて曖昧あいまいに笑った。


「どうなのかな。まだよくわからないけど、実家よりは気が楽かな」


「そっか、それなら良かった」


「でも、ここに来られたのも実家の伝手つてだし。結局は親に頼っちゃった感じ」


「焦ることはないと思うよ。一人で生きていくのって、それだけで大変だから」


「ユイちゃんはすごいなあ、巡見士ルティアだものね」


「それは自分でも頑張ったと思う。まだ半人前だけど」




 だが旧友との語らいを楽しむ暇もなく、それこそ何の前触れもなく、いきなり部屋の扉が開かれた。そこに立っていたのは私達より少し年下だろうか、やや着古した絹服を着た女の子だった。

 顔の造りは十分以上に可愛かわいらしいが、猫を連想させる瞳と吊り上がった眉が勝ち気そうな、もっと直接的な表現を使えば生意気そうな印象を与える。


 察するにこの子が男爵家に一人残された娘リゼル、あのフレッソ・カーシュナーにたぶらかされ『女神の涙』を渡してしまったという子だろうか。


「リース、買い物に行く予定だったでしょ?早く用意しなさいよね」


「はい。確か午後からと聞いていましたが……」


「気が変わったの!ユイだっけ?あんたも来なさい」


 有無を言わさぬ口調。リースの申し訳なさそうな目配せを受けて、私も買い物とやらに付き合うことになった。




 整備されない石畳の坂道を下りて城下町へ。少々意外に思ったのは町の人々の反応で、ことごとく生意気そうな言動を見せるリゼルちゃんに対して皆が温かい表情を見せるのだ。


「おや、リゼル様。今日はどれになさいますか?」


「今日はパンはいらないわ。明日また来るから豆パンとデニッシュとワッフルと、チョコたーっぷりのコロネを用意しときなさい!」


「リゼル様、おはようございます。今日はどのようなご用事で?」


「お供の魔術師を連れて買い物よ。そうだ、前に買った向日葵ひまわりの種、立派に咲いたわよ!秋には百倍にして返してあげるわ!」


 それに加えて購入した物といえば、貴族らしからぬ日用品に加えて竹、麻紐あさひも、安物の飾り付け。私とリースは両手いっぱいにそれらを抱えてまた坂道を上り、魔術師には向かない肉体労働をいられたものだ。




 スープだけの簡単な昼食を済ませて、今度は城の玄関前にある花畑へ。比較的陽当たりが良いその一角だけが綺麗に整備されている。


「リース、それ持ってて。ユイ、あんたはこっち」


 竹を地面に打ち込み、縦横に組み合わせて麻紐あさひもで縛り付ける。安物の飾りもやはり紐で縛り付ける。汗だくのまま夕方近くまでこき使われたものだが、私達よりもリゼルちゃんの方が汗まみれ泥まみれなので文句を言う気にもなれない。


 さらに夕方からは食事の支度。昨日から煮込んであるという牛肉のシチューの味を調え、野菜を切って軽くで、葡萄酒ぶどうしゅを沸騰しないように温めてオレンジを皮ごと入れる。


 やがて外が暗くなるとリゼルちゃんはリースに何かを命じ、自分はどこかに向かったようだ。

 私はリースにうながされて昼間の花畑へ。見上げる二階の部屋に明かりが灯り、その中に老男爵とリゼルちゃんの姿が浮かび上がった。




「ごめんユイちゃん、手伝わせちゃって」


「うん。これは何なの?」


「今日は当主様の誕生日でね、リゼル様が自分で準備するって」


 言いながらリースが【照明ライト】の詠唱を始めた。竹で作られた格子に二つ、三つと白い輝きが宿り、微かな風に金銀の飾り付けが揺れる。


「当主様は重い病気で、もう来年の誕生日は迎えられないかもしれないの。ご両親が事故で亡くなって自分一人しかいないから、リゼル様は必死になって……ごめんね、巻き込んじゃって」




 その夜の食事は肉と野菜をよく煮込んだシチュー、体が冷えない温野菜のサラダ、ゆっくりと温めて酒精アルコールを抜いた葡萄酒ぶどうしゅ。いずれも病み衰えた者でも無理なく食べられるものばかりだった。


 城下町の人々がリゼルちゃんに優しい理由がわかった気がする。あの子は我儘わがままで生意気に見えて、いや実際その通りなのかもしれないが、それ以上に人を思いやることができる優しい子なのだ。そんな事をリースと話していると、やはり尊大で生意気そうな表情の娘が現れた。その手に高価そうな果実酒が握られている。


「リース、ユイ、今日は……ありがと。二人でゆっくり昔話でもなさいな」





(5/13追記)この回を含む章前半部分を修正しました。

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