魔人族の小さな幸せ(八)

 ナナイ村をった日の夜。リリエという町の酒場でこの人を見かけたのは、偶然ではあっても確率の低い出来事ではなかった。

 村から徒歩で一日足らずの距離であること、リリエがこのあたりでは拠点となる大きな町であること、その町の中で最も大きな酒場であったことがその理由だ。


 ファルネウスさん、とエレナさんが呼んでいた。宿に出入りしていた商人風の男の人。

 彼は中背で黒髪という目立たない容姿ではあるものの、その戦いぶりと信じがたい身体能力は強く印象に残っている。私は果実酒の杯を持ったまま、無理なく相手の視界に入るようにして隣に立った。




「ファルネウスさん、ですね?」


「……お前か。何の用だ」


「特に用はありません。少しお話がしたくて」


「俺を追ってきたわけではないのか?」


「必要がありません。貴方あなたは法を犯したわけでも、誰かを傷つけたわけでもありません。むしろ危ういところを助けて頂いて感謝しています」


 ふん、と男は鼻を鳴らして、琥珀こはく色の液体を喉に流し込んだ。大麦から作られる酒精アルコール度の高い蒸留酒だ、確かカチュアの家を訪ねた際にポーラさんが同じものを愛飲していた。


「お隣、よろしいですか?」


「お前は俺が怖くはないのか?」


「怖い?何故です?」


「……嫌な質問をする」




 知らぬふりを決め込んで隣に座ったものだが、もちろん意味は伝わっている。魔人族ウェネフィクスなどという言葉をこの場で使う訳にはいかないのだから。


 ただ思ったより足の高い椅子で、小柄な私は子供のように足をぶらつかせることになってしまった。大人の女性を気取ってみたのだがどうにも格好がつかない。


「自分より強い人、賢い人、優れている人、いくらでもいます。だからといってその相手を恐れる理由にはなりません」


「ナナイ村の者達はそうではなかったようだが?」


「人それぞれです」


 ふん、と笑って、ファルネウスさんは陶器の皿をこちらに押しやった。油で揚げた豆が入っている、このあたりでよく酒のさかなに出される品だ。


「で、何が聞きたい?」


「特に何も。ファルネウスさんの方がお話ししたい事があるかと思いまして」


「ろくに話をしたこともないお前にか?」


「共に戦いました。エレナさんのために」


「……」


貴方あなたはあのまま正体を隠し通すこともできました。でもフェルケさんを助けたのは、エレナさんを不幸にしたくなかったからでしょう?」


「そんなつまらん話を聞きたいか?」


「ええ。私で良ければ」


 きっと誰かに話したかったのだと思う。誰しも一人で抱え込むには辛いことがあるはずだから。




 ファルネウスさんとエレナさんは世界でも珍しい、魔人族ウェネフィクスのみが暮らす集落の出身だったという。年齢の近い二人は兄妹のように育ったが、その集落には成人すると一人で旅に出るという決まりがあった。これは繁殖力が弱く滅多に子ができない種族であるため、血が濃くなりすぎるのを防ぐという理由からだそうだ。


 やがて成長した二人はそれぞれ別の道を歩むが、エレナさんが人族ヒューメルと結婚し子を成したという噂を聞いたファルネウスさんは複雑な感情を抑えきれず、商人を装って近づき『村人の中に魔人族ウェネフィクスが紛れている』という噂を流した。

 だがそれを悲しんだエレナさんは昔のことは忘れてほしいと告げ、幸せそうな家族を見てファルネウスさんもようやく諦めようとしていた……




「ろくでもない噂を流したのは、俺が悪いと思っているよ。嫉妬に狂い、あいつを不幸にしてしまった」


 だが彼が村に出入りするようになった頃から、下級妖魔どもが村の様子をうかがうようになった。

 妖魔の中には魔人族ウェネフィクスをそれと認識できる者がおり、彼らは絶対的強者である魔人族ウェネフィクスに従うことで安全を得ようとする習性がある。

 頻繁に村に出入りするファルネウスさんやエレナさんが魔人族ウェネフィクスであることを知った妖魔どもは、エレナさんの家が人族ヒューメルに取り囲まれたことで主人が危険にさらされたと思い込み、とうとう村を襲うに至ったのではないか……


「でも彼らはエレナさんに従うどころか、襲いかかっていましたね」


「仲間をやられて逆上したのかもしれんし、雌だと知って取り囲めば勝てると思ったのかもしれん。いずれにしても下級妖魔の思考など理解しようもない」


 ファルネウスさんも多分に推測を交えているが、もしこれが真実だとすれば魔人族ウェネフィクスが妖魔を呼び寄せるという村人達の主張は、ある意味では正しかったのかもしれない。


「どうだ、可笑おかしいだろう。人族ヒューメルと結婚など気の迷いだ、俺が顔を見せればエレナを取り返せると思い込んでいたのだからな。村が襲われたのも、あいつが村を離れることになったのも、全て俺のせいさ……」




 彼は空になったグラスを置き、自嘲気味につぶやいた。あらゆる能力で人族ヒューメル凌駕りょうがする魔人族ウェネフィクスもやはり冷静さを失い、自らの行いを悔いることがあるのだ。


可笑おかしくはありません。助けて頂いたことに感謝します」


 酔いが回った様子のファルネウスさんのために水を注文して、私は静かに席を立った。それを察したか、背中に呂律ろれつの怪しい声がぶつかってきた。




「少しおしゃべりが過ぎたようだ。忘れてくれ」




 ◆


 ここまでお読みくださりありがとうございます。

 気が付けば150話を過ぎました。たくさんのフォロー、ハート、星、コメントに励まされてここまで来ることができました。改めてお礼申し上げます。


 物語は中盤を過ぎ、概ねキャラクターも出揃いました。次話からは宿敵と相まみえ、いくつかのお話を挟んで次は親友と剣を交え、それぞれ決着をつける予定です。


 ずいぶんと長い物語になってしまい恐縮ですが、引き続きお付き合い頂けますと幸いです。

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