魔人族の小さな幸せ(五)

 ほどなくして、小さな宿屋は数十人の村人に囲まれてしまった。


「出て来い、魔人族ウェネフィクス!」


「お前が妖魔を操ってるんだろ!」




 声だけではない。投げられた石礫いしつぶてが壁を叩き、窓を割り、壊れた入口から飛び込んでくる。おそらく彼らも一人でこのような真似はしないだろう、多くの人が集まることで自分たちが正しいと信じ込み、安全であることを確信してのことだ。力弱く自信も信念も無い存在が集団になると途端に凶暴になってしまう、全くもって群集心理とは恐ろしい。


「大丈夫です。心配ありませんよ」


 フェルケさんとエレナさん、それから二人がかばうように抱えるアピオちゃんに告げて、私は正面から彼らの前に進み出た。


 私と知ってか、それともエレナさんと誤認したのか、顔に向かって投げつけられた石を体をひねってかわす。細月刀セレーネで打ち落とさなかったのは刀身が傷つくからだ。親友から授かった愛刀で、こんなつまらない場所でつまらない物を斬りたくはない。


「あなた達……こんな真似をして恥ずかしくないのですか」


魔人族ウェネフィクスを出せ!」


「全部エレナのせいだ!あいつが妖魔を呼び寄せたんだ!」


「エレナが魔人族ウェネフィクスだと知ってて隠してたんだろ!お前も同罪だ!」




 違う。何度も繰り返したように魔人族ウェネフィクスだというだけでは罪にならない、むしろ騎士階級である私に暴言と暴力を浴びせた彼らがことごとく罰せられる可能性すらある。

 だがこうなってしまえば何を言っても無駄だろう、みな熱に浮かされたように自分が正しいと思い込んでいる。厄介なものだ、と心の中でつぶやいて左手小指にめられた指輪に意識を集中する。


「見えざる風の精霊、我はなんじまとい衣と成す。【風の守護ウィンドプロテクション】」


 投げつけられた数個の石が風に巻かれてあらぬ方向に飛び去り、そのうちの一つが別の村人に当たったようだ。顔を押さえてうずくまるその人は不運と言って良いのだろうが、とても同情する気にはなれない。


 投石が無駄だと悟ったか、ささやきを交わす村人達。だが包囲を解くでも帰るでもなくただ立っている。責任を取る者もなく、目的さえも曖昧あいまいなのだから収拾のつきようがない。こちらも自衛のために魔術を使ったけれど、ただの村人を相手に剣を抜くわけにもいかない。


 だがこの馬鹿馬鹿しい沈黙は、半鐘を打ち鳴らすけたたましい音に切り裂かれた。



 ガンガンガンガンガン、ガンガンガンガンガン、五回続けた後に間を置いてまた五回。私は思わず身をすくめた。この鳴らし方には聞き覚えがある、カラヤ村が小鬼ゴブリンの群れに襲われた時と同じだ。国や地方を問わずこれは『外敵の侵入』を表す。


小鬼ゴブリンが来た!いや、豚鬼オーク羽魔インプ、とにかくたくさんだ!」


 次々と森から湧き出る妖魔の群れ。二十、三十、いや、にわかには数えられない。


 それを迎え撃つべき自警団の多くはここにいる、しかも武器を手に持って。だが彼らは狼狽うろたえ顔を見合わせるばかりか、助けを求めるようにこちらを見る者までいる。

 あまりにも情けない。集団で一人の女性を取り囲むことはできても、襲い来る妖魔の前に立ちはだかることはできないとでも言うのだろうか。




「どいてください!」


 このに及んでまだ宿を取り囲む人々を押しのけ、ようやく人垣の外へ。初動が遅れたせいで、数匹の妖魔はもう村の中に侵入している。


「貪欲なる火の精霊、我が魔素を喰らいその欲望を解き放て!【火球ファイアーボール】!」


 彼らの目前で炸裂する火球、数瞬遅れて吹き付ける熱風。私らしくもない破壊魔術で先頭の数匹を一掃したものの、濁流のように湧き出る妖魔の勢いは止められそうにない。

 細月刀セレーネが鋭く弧を描くたび地上で鮮血が噴き上がり、【光の矢ライトアロー】がはしるたびに宙で苦痛のうめきが漏れるが、一向に妖魔の数が減ったようには思えない。一匹を斬り一匹を撃ち落とす間に森から三匹、四匹と飛び出してくる有様だ。


 周囲を囲まれぬよう一太刀ごとに位置を変え、向きを変え、剣を振り回し牽制してまた駆け出し、駆け抜けざま一匹を切り捨てる。呼吸が苦しい、返り血が頬を濡らす、刃毀はこぼれした短剣が鎧をかすめて冷汗が噴き出る。いくら何でも一人で対処できる数ではない、でも……


 カチュアなら?剣をきわめたあの『達人エスペルト』なら妖魔の群れなどものともせず、ただ流水のごとく敵陣を切り裂くのではないだろうか。この苦戦はただ私が未熟なだけ、親友の域に達していないだけだ。


 討ち漏らした小鬼ゴブリンが村に入り込み、人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。私にもっと力があれば、もっと自警団の人達に戦い方を教えていれば……




「何びびってんだよ、クソ共が!あの人が誰のために戦ってると思ってんだよ!」


 いや、いくつか妖魔を迎え撃とうと駆けだした影がある。粗暴に見えて真面目で素直なラムザ君とその友人、日を追うごとにその数は増えて五人になっていた。


「女一人に戦わせてよ、棒切れみたいに突っ立ちやがって。その手に持ってんのは何なんだよ!」


 三人がかりで小鬼ゴブリンを仕留め、村人たちに向き直る。三日ばかりの特訓でさほど上達するはずもないが、懸命の訴えは確かに彼らの心に届いたようだ。一人、二人と剣を抜き、槍を構えて走り出す。

 良かった、彼ら自身が立ち向かってくれるなら被害は少なくて済むだろう。だがこちらは……




 疲労のあまり動きが乱れる、腕が重い、血と汗と脂で剣を握る手が滑る。いったい何匹の妖魔を斬ったのか、あと何匹斬れば村は助かるのか。全身を染めるのが返り血なのか自分の血なのかわからない。


 目の前の豚鬼オークを斬り下げた拍子に膝が崩れた。背後に二つの気配、おそらく小鬼ゴブリンか。もう二匹同時には対処できない、せめて致命傷は避けなければ、鎧に当たってくれればと身を固くする。


 そこに飛び込んできた小さな影。エレナさんが細い腕で鉄製の円匙スコップを一閃、小鬼ゴブリンの首が二つまとめて宙を飛んだ。




「私も……戦えます」


 村人からうとまれまれ、石を投げつけられた魔人族ウェネフィクスは、彼らを守るため私に背を預けた。

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