魔人族の小さな幸せ(一)

 大きな夕陽が山々の陰に隠れようとしている。農具を担いだ村人が家路につく。実家のあるカラヤ村ではまだ雪が残っている頃だというのに、このナナイ村は長閑のどかな春の夕暮れを迎えている。


 だが私がここを訪れた理由は、いささか不穏なものだった。


『村人の中に魔人族ウェネフィクスまぎれている』という訴えが繰り返し王都に届けられているのがそれだ。本来であれば亜人種に準ずる扱いの魔人族ウェネフィクスが種族を理由に罰せられることは無いのだが、村人の間に不安が広がっていること、時を同じくして妖魔の動きが活発になり何度も村の周囲に現れるなど危険な兆候が見られることから、早期の調査を行うことに決まったのだ。


 私が選ばれた理由は過去に魔人族ウェネフィクスを倒した実績があること、魔術を使えば村人の中にまぎれた魔人族ウェネフィクスを探し出すのも容易であること。ただし魔人族ウェネフィクスと敵対することになれば単独で戦うのは危険であるため、そのような場合は支援を要請するつもりだ。




巡見士ルティア殿ですな!お待ちしておりました!」


「エルトリア王国巡見士ルティア、ユイ・レックハルトです。王命によりナナイ村の調査に参りました」


 手を握らんばかりに、いや大袈裟おおげさに私の手を握って歓迎の意を表したのは老年に差しかかったと見える小柄な村長で、早口でグラさんと名乗った。かされるように応接室に通され、やはり早口で村の状況を切々と訴える。


「村人に魔人族ウェネフィクスが紛れているとの噂が流れ始めたのは、五十日ほど前のことでございます。村の中で青い血の跡を見たという者も、旅人が襲われたと聞いた者もおります。最近頻繁に現れるようになった小鬼ゴブリンどもも、魔人族ウェネフィクスが呼び寄せているに違いありません!」




 私は相手の調子に流されることを避けて、出されたばかりの紅茶を口に含んだ。


 産地などの知識は無いけれど、おそらく上等な品だ。この村長の家も広々として各所に鹿や熊のトロフィーが飾られており、暮らしぶりは随分と良いようだ。

 ナナイ村はエルトリア王国北西部、隣接する森に多くの動物が棲みついており、狩猟と牧畜で栄えているという。だがその森は魔の領域とされる『大樹海』に程近ほどちかく、そこを追われた下級妖魔の棲家すみかにもなっている……というのは王宮の書庫から事前に得た知識だ。


「まず申し上げておくべき事がございます。魔人族ウェネフィクスはエルトリア王国法第七条『亜人種の条件と権利および地位』により、亜人種と同様の権利を有します。種族を理由にその権利を害する事はできません」


「怪我人も出ているのですぞ!森に入った狩人が襲われてようやく逃げ帰ったのです!」


魔人族ウェネフィクスに襲われたのですか?」


「いや、小鬼ゴブリンに……」


「であれば妖魔によるものであって、魔人族ウェネフィクスによる被害ではありません」


「同じです!魔人族ウェネフィクスが奴らを呼び寄せているのです!」


「まずは事実確認をさせてください。皆さんの不安は理解しましたが、憶測を基に国民を罰する事はできません」


 敢えて冷たい態度で突き放したが、村人の不安が理解できない訳ではない。

 エルトリア王国において魔人族ウェネフィクスは亜人種に準ずるという扱いで、公職に就くことはできないが種族を理由に罰せられることも無い。だが身体能力、知力、寿命、およそ全てにおいて自分達よりも優れる魔人族ウェネフィクス人族ヒューメルにとって恐怖の対象であり、魔人族ウェネフィクスの方も能力的に劣る人族ヒューメルを見下していることが多いため、結局は相容あいいれない場合が多い。

 また、魔人族ウェネフィクスは無条件に下級妖魔を従えるという真偽不明の俗説もある。根拠の無い噂と決めつけて被害を出す訳にもいかないのだ。


「まずは頻繁に現れるという妖魔の種族や数を調べます。その上で必要であれば、国軍か近隣の領主に支援を求めようと考えております」


 噂を真実と決めつけて事をかす村長をなだめつつ話をまとめ、明日からの調査と自警団の教練を約束して席を立つ。だが家の外では、ようやく一息つこうとした私をさらに辟易へきえきさせる出来事が待っていた。




 玄関の扉を開けた瞬間に十人ばかりの村人に囲まれ、驚いた私は思わず剣の柄に手を掛けてしまった。害意は無いようだが囲まれる理由に心当たりも無い、ただ困惑する私の後ろで村長が両手を広げる気配がした。


「皆の衆、王都から腕利きと噂の巡見士ルティア様が来てくださったぞ。もう安心だ!」


「良かった、これで魔人族ウェネフィクスもおしまいだ!」


巡見士ルティア様、早く魔人族ウェネフィクスを倒してください!」


「……最善は尽くしますが、過度な期待はされませぬよう」


 私は誰とも視線を合わせず、人垣の中央を割って立ち去った。失礼な態度かもしれないが、これでも感情を表に出さぬよう懸命に努力してのことだ。




 村に一軒だけの宿に部屋をとり、夕食を摂る段になっても私の腹の虫は治まらなかった。

 あまりにも簡単に噂を信じ込みすぎる、どうして全て魔人族ウェネフィクスのせいだと決めつけるのだろうか。あまりにも主体性が無さすぎる、自分達の問題だという意識がないのだろうか。


 もう安心だ?早く倒せ?仮に妖魔が現れる原因が魔人族ウェネフィクスだとすれば簡単にはいかない。知力も身体能力も私達人族ヒューメルを大きく上回る彼らが相手ならば調査は困難なものになるだろうし、単独で勝てる保証も無い。調査中に不意を突かれれば不利はいなめないだろう、まして村人を守りながらとなれば……


 全く勝手なことばかり言ってくれる。もしラミカがいれば、「おーおー、ユイちゃん機嫌悪ーい。人相悪ーい」とでも言って気を紛らわせてくれたかもしれないけれど……




「あ……」


 すっかり頭に血を上らせていた私だったが、無造作に南瓜かぼちゃのスープを口に含んだ途端に我に返った。懐かしい味。


 十五歳になったあの日、虐待を繰り返す両親から逃げ、かすかに見えた希望を奪われ、理不尽な暴力から逃げ、命からがら辿たどり着いたカラヤ村で命を繋いでくれたあのスープと同じ味がする。素材がどうとか味付けがどうとかではない、とにかく今の私が一番欲しかったもの。


「これ、貴女あなたが……?」


 赤子を抱いた若い女性が控え目にうなずく。そういえば腹立たしさのあまり、この宿のことも、受付をしてくれた人のことも全く目に入っていなかったと気付いて恥ずかしくなった。


「美味しいです、とっても。懐かしい味がします」


「本当ですか?良かった……」


 私と同じくらいの小柄な体、緩やかに波打つ明るい茶色の髪、穏やかな微笑。体からも表情からも柔らかな印象をかもし出す女性は、子供をあやしながら奥に下がっていった。




 一人になった私はようやく周りを見渡した。小さいが明るくて清潔な宿、素朴だが趣味の良い木製の食器。胸の奥まで温かくなるような食事を終えた頃、食器を下げるためにご主人が現れた。こちらも控え目で穏やかそうな青年だ。


「王都から参られた巡見士ルティア様ですね。ようこそいらっしゃいました」


「あ、はい。すみません、ちょっと考え事をしていて。大変失礼しました」


 ご主人はフェルケさん、先程の女性は妻のエレナさん。抱いていた子供はアピオちゃんという名前だと教えて頂いた。


「アピオちゃん?変わったお名前ですね。意味を教えて頂けますか?」


「古い言葉で『結ぶ』という意味だそうです。妻がどうしてもと」


「そう……ですか。素敵なお名前ですね」


 私の名前も、前の世界において同じ意味に取れる。一体誰が名付けてくれたのだろう、もし生みの親だとすれば、後の行いはともかくそれだけは感謝したい。




 この日私が温かな気持ちで眠りにつくことができたのは、温暖な気候よりも柔らかなベッドよりも、このご夫婦のおかげに違いなかった。

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