死霊達の主(二)

 フィンはエルトリア王国中央部、ルーメル湿原の外周部にある人口三千人余りの町。


 土地は肥えているものの水はけが悪く、主な産物といえば湿地に群生する植物から作られる軟膏なんこうが多少知られている程度。大都市アカイアまで馬車で二日余りという距離も生活圏とはいえず、それなりの人口を有する割には辺鄙へんぴな町という印象だ。




「ねー、ユイちゃん」


 空が暗い。正午を過ぎたばかりだというのに重そうな雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうだ。雨や霧が多い地方だとは聞いていたが、さっそくその洗礼を受けることになろうとは。

 陽光を浴びると消滅してしまう死霊にとっては理想的な環境なのだろうが、だからといって彼らが住処すみかを離れて町を襲うだろうか。やはりこの件は不自然なところが多すぎる、ルッツさんは何も語ってくれなかったけれど……


「ねーユイちゃん。ねーってば」


「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」


「おなかすいてると考えまとまんないよ。何か食べに行こうよ」


「さっきお昼食べたばっかりだよね!?」


 ラミカと二人、王都フルートからアカイアへ、アカイアからさらに馬車を乗り継いでこの町に着いたのはつい先程。市街地の軽食店で昼食を済ませて領主の館に向かっているのだが、目と鼻の先と言っていい距離を歩くうちにまたおなかをすかせるとは思わなかった。




「おお!よくぞおでくださいました。いや、話にたがわずお美しい。最年少で公職試験に合格した女性巡見士ルティアの噂、聞き及んでおりますぞ。このような陰気な町に足をお運びくださるとは光栄の極み、何とぞごゆるりとお過ごしくだされ。ご希望であれば食事でも風呂でも部屋でも、何でもご用意致しましょう。まずは何になさいますかな、当家の自慢は……」


 そしてたどり着いた館では出迎えを受けるなり言葉の濁流に押し流されてしまい、両手で必死にそれを押しとどめなければならなかった。


 現在の領主代行はダルトンさんという人で、頭頂部まで禿げ上がった中年男性だった。つやつやと血色の良い頭、樽のように膨れたお腹が豊かな暮らしぶりをうかがわせる。もともとはこの町の有力者で、ルッツさんが騎士資格を剥奪された後にこの職を与えられたという。




「そちらのお嬢様は魔術師ですかな?いやいやよくお越しくださいました、王都の魔術師様ともなれば美食も美酒も思いのままでございましょうが、当家の酒も負けてはおりませんぞ。というのも隣町に良質の葡萄ぶどうを産する農場と蒸留所がありまして、果物と酒には困りません。ちなみに魔術はどちらで学ばれましたかな?ジュノンの魔術学校には私が懇意こんいにしている先生がおりまして……」


 応接室まで歩く短い間もひたすらしゃべり続け、こちらに質問しているようでも答えを待たずにまた言葉を続ける。


 この人の調子に慣れてきてむしろ驚いた。これほど大量の言葉を立て続けに吐き出しながら、役に立ちそうな情報が一つも無い。意図的ならば凄い能力かもしれないが、おそらくただ浮かんだ言葉を並べ立てているだけだろう。ラミカはといえば口を開けたまま耳を空洞にして全ての音を素通りさせている、こちらの個性も負けてはいないようだ。


「歓迎のお言葉、痛み入ります。ところで前の領主であったルッツさんについてお聞きしたいのですが……」


「ルッツ!ルッツと申されましたか。あの臆病者が逃げ出したおかげで、町民がどれほど迷惑をこうむったことか。私が私財をなげうって自警団を組織し、死霊どもを追い返さなければ町はどうなっていたことか。その功をもって領主代行に任じられましたが、財政を立て直すのにも苦労しましたぞ。まったくルッツという奴は臆病な上に怠惰で無能で誰からも好かれず……」




 応接室に通されても一方的な言葉の奔流はおさまらない。それに耐えてようやく質問を発し、今度こそ必要な情報の欠片が手に入るかというところだったが、先に不快感が限界を突破してしまった。

 この人は自身の功績を誇らしげに語りルッツさんの悪口雑言を並べ立てたが、片やルッツさんは私に先入観を与えることを避けるため一言も述べなかった。どちらが誠実で信用に値するか、これだけで判断がつこうというものだ。


「良くわかりました。あとは町民の皆さんからうかがいます」


「おや?お待ちくだされ、広間に酒宴の用意を整えておりますぞ。アカイアの牛肉、ロブロスの海老えび、帝国から取り寄せた葡萄酒、いくらでも……」


「申し訳ありません。巡見士ルティアたる身、歓待を受ける訳には参りませんので」


 実のところ巡見士ルティアが歓待を受けてはいけないという決まりなど無いのだが、このような場合の方便として使っている。もうこの人と同じ空気を吸うなど耐えられない。


 私は応接室の椅子から立ち上がり、きびすを返して領主の館を辞した。雲の中にいるような霧雨がすぐに服を湿らせるが、それでも自画自賛と悪口雑言が充満する館の中よりよほどましというものだった。




海老えび……」


 ラミカが何かつぶやいたような気もするが、不機嫌の極みに達した私は耳を貸さず、霧雨の町をただ歩いた。

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