儀仗兵ロットの憂鬱(九)

 闇に閉ざされた王都の地下水路、【照明ライト】の白い光が蛇女ラミアの巨体を映し出す。体高は長身のロット君をはるかに上回り、胴体は樹齢数百年の巨木のよう。その鱗は生半可な刃を通さず、その牙は獲物を弱らせる毒を持つという。


 恐るべき妖魔、それだけに奇襲で仕留められなかったのは痛い。軍学校を卒業した頃のロット君が名剣を手にしていれば胴体を真っ二つにしていたかもしれないが、彼自身の迷いと量産品の剣が蛇の鱗以上にそれを阻んでしまった。


「ロット君、エリューゼをお願い!」




 返事を待たずに細月刀セレーネを振りかざし、足元から派手に水飛沫みずしぶきを上げて牽制する。

 だが暗く狭い足場、汚泥でぬかるむ足元、いくつもの不利が重なってまともに戦えない。それに非力な私の斬撃と半端な破壊魔術では、注意を引くことはできても致命傷を与えることができない。


 襲いかかる毒の牙を見極め、うなりを上げて振り回される尻尾をかわし、暗闇を裂く鉤爪かぎづめを受け流してはいるが、いつまで耐えられることか。


「ええい!これでどうさ!」


 幼さの残る声とともに真横から一筋の光。蛇女ラミアの側頭部に光の矢が弾け、女性のものとも怪異のものともつかぬ奇怪な悲鳴が上がる。だがこれもさしたる効果は無く、向き直った妖魔が威嚇のうなり声を上げる。

光の矢ライトアロー】の魔術。しかしろくな媒体も無く正しい詠唱も知らない者では、その力を十分に発現させることができない。あのラミカに匹敵する才能を持つエリューゼも、今はまだ未熟な魔術師の卵でしかないのだ。




「来い!俺が相手だ……うっ!?」


 背中にエリューゼをかばうように長剣を構えたロット君だったが、妖魔と目が合った途端に姿勢が乱れた。頭が揺れ、膝が崩れ、剣先が下がり、虚ろな目で口を開けてしまう。


 蛇の胴体の上に乗る女性の口が大きく開き、獲物を品定めするように長い舌が出入りした。蛇女ラミアの視線には人族ヒューメルや亜人種の男性に対して魅了の効果があるという、彼はそれに捕らわれてしまったのだろうか。


「ロット君、しっかりして!」


 焦点の合わない目でこちらに向き直り、雑に剣を振り上げるロット君。初めて剣を握った農夫のようにぎこちない動きでそれを振り下ろし、また振り上げる。


「私がわからないの?全部忘れちゃった!?」


 私の声が届いているのかいないのか。しばらくは何かに戸惑っているような様子だったが、徐々にその斬撃は暴風のような勢いに変わってきた。

 これくらい迷いが無ければ私になんて負けなかったのに、などという思いを巡らせる余裕すら次第に失われていく。撃ち交わす剣が火花を散らし、腕の骨がきしみ、暗闇に舞った汗に【照明ライト】の光が反射する。




『私は巡見士ルティアに!』


『僕は将軍ヘネラールに!』


『俺は達人エスペルトに!』




 あの日の誓いも虚しく互いに傷つけ合った挙句、私達は妖魔の腹に収まってしまうのだろうか。

 とうとう重く鋭い剣を受け損なって大きくよろめき、革鎧の胸当てが切り裂かれた。背中には通路の石壁、前には敵に魅了されたロット君、さらにその後ろには獲物同士の殺し合いを満足そうに見下ろす蛇女ラミア。もう覚悟を決めるしかないのか。


「内なる生命の精霊よ、我は勝利を渇望する。来たりて仮初かりそめの力を与えたまえ。【身体強化フィジカルエンハンス腕力ストレングス】!」




『もし、もしさ。敵が蛇女ラミアだとして、俺が誘惑されてお前に剣を向けるようなら、遠慮なく斬り捨ててくれよな』


 暗闇の中でロット君はそう言っていた。




「できるわけないでしょ、そんな事!」


 渾身の力に魔術の力を上乗せして細月刀セレーネをすくい上げ、重い長剣を受け止める。二本の刃が噛み合い、互いの呼吸を感じるほどに顔を近づける。


「しっかりして!剣の達人エスペルトになるんでしょう!」


 薄暗い地下水路の奥、彼の首元を飾る緑色の硝子ガラス玉がかすかにきらめいた。高価な品ではないし、ほどこした魔術も僅かに魔を退しりぞける程度のものだ。だがそれには私の心からの祈りが込めてある、常に彼と共にり無事を願う祈り。




 不意に腕が軽くなった。ロット君の目に光が差し、戸惑ったような表情を浮かべている。蛇女ラミアの魅了から解放されたのだろう、良かった、と安堵あんどしたのもつかの間、辺りに乾いた音が響いた。ぱかーんと表記するしかないような間の抜けた音。


「何してんだよ、バカ兄貴!」


 ロット君の額から血が一筋流れ、エリューゼが持っていたロッド代わりの棒切れが真二つに折れて転がった。


ってえ!何しやがる、このクソガキ!」


「お姉さんに心配かけて!足ひっぱって!悔しかったらちょっとは役に立てよ、このバカ!」


「てめえ、後でおぼえてろよ!」




 こんな時でも言い争うとは信じがたい二人だと思ったけれど、ともかくこれで勝機が見えた。


「ロット君、これを!」


 抜き身の細月刀セレーネを放り投げる。ロット君が戸惑いつつもそれを受け取る。


「できるよ、ロット君なら」


 言い残して蛇女ラミアの懐に飛び込み、零距離からの【光の矢ライトアロー】。振り下ろされる鉤爪かぎづめに空を切らせて背後に回り【風の刃ウィンドスラッシュ】、狂ったように旋回する尻尾を飛び越えつつ【暗黒球ダークスフィア】。

 続けざまの破壊魔術も大した威力ではないが、妖魔はこざかしい人族ヒューメルを喰らわんと牙をき出す。十分に注意を引き付けることができただろう、あとは彼次第だ。




 ロット君の手元から、暗闇を裂くように銀色の光が斜めにはしった。途端に動きを止める蛇女ラミア


 数瞬の空白。蛇の胴体から女性の上半身が斜めに滑り落ち、濁った水柱を立てた。


 残された蛇の胴体もしばらく泥の中を無闇にうごめいていたが、やがてその動きを止めた。

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