儀仗兵ロットの憂鬱(四)

 子供達には地下水路に入らないように言い含め、一度王宮に戻り上司に報告を済ませる。


 貧民街で続いた失踪事件の原因が蛇女ラミアであろうとなかろうと、これで私の仕事は終わりだ。あとは地下水路に調査隊を送り込むか、出入口で待ち伏せするか。早ければ今日のうちに対策が話し合われるだろう、いずれにしてもこの一件は私の手を離れた。




 まだ夕食には早い時刻。思ったよりも早く仕事が終わったので、ロット君の部屋を訪ねてみることにした。木造二階建ての集合住宅、決して立派ではないけれど、宿舎で暮らす者が多いという入団一年目の兵士にはなかなかの贅沢品だろう。


 何度か扉を叩いたものの返事がないので、仕方なく少し歩いて市街地へ。急いで飛び込んだ閉店間際の服飾店で安物の首飾りを手に取った。


「ええと……これがいいかな」


 本物の翠玉エメラルドはちょっと手が出ない値段だったので硝子ガラス玉になってしまったが、小さいながらも精巧な造りと細い銀色の鎖が気に入った。細かい雨が降り始めた夕闇の中を小走りに通り抜け、再びロット君の部屋へ。残念ながらまだ留守のようだ。




 雲がなければ頭上にいくつも星がまたたいているだろう。もうとっくに仕事は終わっているはずだ、もしかしてまた先日の友人達と繁華街に繰り出してしまったのだろうか。


 私に一度負けたくらいで立ち直れなくなるとは思わないけれど、都会の誘惑から簡単に抜け出せるとも思えない。周囲に流されやすい彼のことだ、刺激的な美女と美酒に囲まれて身を崩してしまわないとも限らない。




「私は巡見士ルティアに!」


「僕は将軍ヘネラールに!」


「俺は達人エスペルトに!」




 共に交わした十五歳の誓いがずいぶん遠い日のように感じられる。あの日の夢も希望も、怠惰で刺激的な日常にまみれて案外簡単に終わりを迎えてしまうのかもしれない。




 私は頭を振り、髪についたしずくを振り落とした。きっと彼自身もわかっているはずだ、甘美かんびで生ぬるい毒の沼地から抜け出そうともがいているはずだ。私が信じてあげなくてどうするというのか。


「世にあまね数多あまたの精霊よ……」


 安物の首飾りに全身の想いと力を込める。緑色の硝子ガラス玉は月も星も無い闇の中でただ掌に収まっているだけ。




「天より注ぐ光、地を包む闇……」


 初めて会ったロット君は、ただ背の高いだけの未熟な若者だった。小鬼ゴブリンにも後れを取り、食人鬼オーガーに為すすべなく撥ね飛ばされ、悔しさのあまり剣を地に叩きつけていた。




「喰らい尽くす火、与え満たす水……」


 軍学校では目覚ましい成長を遂げた。おそらく私の知らないところでたゆまぬ努力を重ねていたのだろう、体は一回り以上も大きくなり、あの『達人エスペルト』カチュアを追い詰めるほどの剣士になっていた。




「自由なる風、いしずえたる土……」


 王都で暮らし始めた彼の変わりようには驚いたけれど、それも必要な遠回りなのかもしれない。先日の手合わせの後に見せた顔は村で剣を叩きつけたときと同じだった。大丈夫、彼はきっとまた強くなる。




「我が祈りをここに捧げる。いかなる時も彼と共にれ!」


 雲が晴れたか、銀色の月が少しだけ顔を覗かせた。硝子ガラス玉がきらりと微かな光を放つ。

 もし彼が闇の中で道に迷っているならば、少しだけ足元を照らしてあげてほしい。

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