儀仗兵ロットの憂鬱(三)
薄暗い路地、雑草と水たまりだらけの細道、屋根の代わりに布を張っただけの住居。
光あふれる王都に差す影の領域、貧民街。本来ならば若い女性が一人で足を踏み入れて良い場所ではないのだが、この日はどうしても避けられない事情があった。
幾人かに道を尋ね、その姿を見つけたのはごみ山の中だった。三十万人とも言われる市民が数十年にも渡って積み上げたそれは、この世の全ての匂いを混ぜ合わせたような悪臭を放ち、ところどころから煙が上がっている。
そこかしこを
「エリューゼ!」
幾人かの子供が振り返る、その中に白金色の髪の女の子がいた。
才能溢れる魔術師の卵、だが未だ磨かれず泥とごみの中に
「エリューゼ、待って!」
前に出会った時と同じように長い追いかけっこが始まるのかと思ったものだが、彼女は思い直したように足を止めた。驚かせないようにゆっくりと歩み寄る。
「久しぶりだね。本は読んでみた?」
「……もん」
「え?」
「アタシ悪くないもん!」
背中を向けたまま両手を握り締めるエリューゼ。横にしゃがみ込んで聞き直すと、目を合わせずに少しずつ答えてくれた。私が買い与えた本は父親が酒代にしてしまったこと、だから一ページも読んでいないこと、あれから魔術を悪用していないこと。
「アタシ悪くないもん。悪くないもん……」
「そうだねエリューゼ、あなたは悪くない。ごめんね、お姉ちゃんの考えが足りなかったんだ」
そう、自分が軽率だった。書物は高価な品であり一般市民がなかなか手にできるものではない、まして貧民街に住む者となれば
悔しそうに涙をこらえるエリューゼの頭を撫で、先日覚えたばかりの歌を口ずさんだ。
『ひとつ、一人じゃ食べきれない』
『ふたつ、
『みっつ、みんなで分けたなら』
『よっつ、夜中におなかがすいても』
『いつつ、いつでも食べられる』
「何それ。変な歌」
「変だよね。でも何だか
言いながら紙袋からチョコレートドーナツを取り出し、半分を差し出した。戸惑いつつ受け取るエリューゼ、集まって来る子供達。
「私にもちょうだい!」
「お姉さん誰?へんな歌~」
バターたっぷりのスコッチ、りんごのデニッシュ、柔らかいベーグル、歌の通り少しずつ取り分けて一人一人に手渡していく。
私はエリューゼに本を買い与えたけれど、彼女一人を救うことさえできなかった。もし貧民街の全員にパンを買い与えても、炊き出しを毎日しても貧富の差を埋めることにはならない。
でも歌ならば。数を数えられるようになるかもしれない、物事を考えるきっかけになるかもしれない。プラたんの学校に教科書は無く、先生に合わせて歌を歌ったり物を数えたりしていた。年齢も知能も種族さえも様々な子供達が楽しそうに学んでいた。
今度あの学校を訪れたときには私も授業を受けて、プラタレーナ先生にもっとたくさんの歌や言葉を教えてもらおう。それはきっと楽しくて、この子達の興味を引くに違いない。
パンを配り終えた私は子供達を集め、一つの質問をした。実はここに来たのはエリューゼに会うためだけではない、
最近この貧民街で男の人が突然いなくなる事件が何度かあったらしく、妖魔の仕業ではないかとの噂が広まっているとの事だ。まずはその真偽を確かめ、場合によっては兵を動員してもらう事になるかもしれない。
「ねえ君達、最近この辺りでいなくなった男の人を知らない?」
顔を見合わせる子供達だったが、すぐにいくつかの名前が出てきた。
「ラグナさんのこと?」
「えー?ザックのことじゃないの?」
「そういえば最近あいつ見ないよね、ほら、歯が抜けた奴」
「ジャイロ?」
「そうそう、十日くらい前から見てないよ」
ここまでの道中の聞き込みでも複数の名前が挙がっていた、これで六人目だ。多くの不明者が出ているのに子供達が落ち着いているのは、もしかすると突然人が消えたり亡くなったりすることに慣れているためか。
「夜に怪しい音がしたとか、変なものを見たことはない?」
「あるけど……」
こちらも
それらの噂を総合すると、ある妖魔の姿が浮かび上がる。
ならばどうする?妖魔に魅了されない女性のみの討伐隊を編成するか、それとも……
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