儀仗兵ロットの憂鬱(二)

 川沿いにある練兵所の一角、仕事に向かう人々が朝の挨拶を交わす時刻。

 春の陽射しが柔らかい、川のせせらぎが耳に優しい、頬をでる朝の風が心地良い。だが私の機嫌は少々、いやかなり悪かった。


 眠たげな目をこすりつつ模擬剣を受け取るロット君、その表情も気怠けだるそうな態度も気に入らない。


 昨夜、久しぶりに手合わせをしようと言ってきたのは彼の方だ。だからこうして早朝のうちに練兵所を借りる手筈てはずを整え、互いの模擬剣を借り受け、訓練用の戦闘服に着替え、軽く体を動かして素振りを繰り返していたというのに彼は時間通りに現れず、明らかに気乗りしない様子で欠伸あくびをしている。


 しかも何故か昨日の友人達も一緒で、全員が昨夜と同じ服を着ている。察するに朝まで飲み明かしたか、それとも誰かの家に泊まったか。いずれにしても手合わせの準備などできていない。


「いい?始めるよ」


「おう」




 それでも。彼が剣を構えると、手練てだれの剣士たる気迫が肌を刺す。軍学校の卒業記念試合であの『達人エスペルト』カチュアを追い詰め、入団一年目で儀仗兵ぎじょうへい抜擢ばってきされた腕は伊達ではないということか。


 数瞬の間は互いの呼吸を計るため。誘うように剣先を揺らすと、それに応えてロット君が踏み込んできた。

 鋭く重い斬撃。やはり彼の体格と腕力は生半可なまはんかなものではなく、まともに受け止めれば体重差で撥ね飛ばされてしまう。慎重に体を開き剣の角度を変えて受け流し、牽制のために剣を突き出しつつ再び距離をとる。


 互いに容易たやすい相手ではないことは承知している、この程度は挨拶代わりといったところだ。続けざまに十合、二十合と撃ち交わすと、気怠けだるそうに地べたに座り込んで見ていた友人達から歓声が上がった。


「おおー。やるじゃん妹ちゃん」


「ロット、負けんなよー」


 声援というよりも揶揄からかうような声。少々気になるが仕方ない、それよりもロット君の方が苛立いらだっているようだ。




 今日の彼は明らかに精彩を欠いている。余計な装飾がついたジャケットが動きをさまたげているし、すねまで覆うブーツも足首の可動域を狭めている。技術面に限っても小手先の陽動フェイントばかりが目立ち、体格を活かした重い斬撃を活かしきれていない。幾度もの死闘を生き残った私には殺気の無い陽動フェイントは通用しないというのに、ひたすらにそれを繰り返しては付け入る隙を与えている。


 力が拮抗きっこうしているほど事前の準備や服装、体調や精神状態、足元の状態や天候など細かい部分が勝敗を分ける要因になるものだ。今のロット君にはそれらの不利が積み重なって、僅かに、だが確かに私の方が上回っている。


「おいおい、女に負けんなよー?」


「お兄ちゃんがんばってー。ぎゃはははは」


 焦り、苛立いらだち、羞恥しゅうち、様々な負の感情がロット君の顔から見て取れる。その中で最も大きいものは怒りだろうか。おそらくは勝負に水を差す友人にではなく、不甲斐ふがいない自分自身への怒り。


「うるせえ!黙って見てろ!」


 暴風のごとき猛攻。長剣がうなりを上げて左右から襲い来る。ようやく見せた彼らしい剣は以前にも増して速く重かったが、冷静さを欠いていた。斬撃の一つ一つを丁寧に受け流し撃ち落とし、空を斬らせると同時に踏み込んで右手首を軽く打った。


 ロット君の顔から怒りと悔しさがにじみ出て、汗とともにしたたり落ちる。それは軍学校に入る前にカラヤ村で私が見た表情と同じだったかもしれない。


「……だっさ」


 軽蔑の感情を顔に浮かべる派手な女、笑い転げる友人達。


 彼らはわかっていない。ロット君の技倆ぎりょうは卒業記念試合でカチュアと戦った時と比べれば僅かに落ちているかもしれないが、それでも人に馬鹿にされるような腕ではない。おそらく王都の洗練された剣術を取り入れようとして、彼本来の荒々しさを失ってしまっているのだ。


 彼はどこか周りに流されやすいところがある。私やカミーユ君、カチュア達がいた軍学校でいちじるしい成長を遂げたロット君は、きらびやかで洗練された都会の誘惑に捕らわれてしまったのかもしれない。




「……ユイ、俺は弱くなったのかな」


「ううん。ただ、ロット君らしくない剣だった」


 剣術に関してはあまり直接的な助言をしたくない。彼が目指す『達人エスペルト』に至る道は一つではないはずだ、遠回りでも様々な経験をした方が良い場合もあるのだから。


 ただ、これだけは言っておかなければならない。すれ違いざまに一言だけ付け加えた。




「ねえ。あのはやめておいた方がいいよ」

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