亜人種自治区における産業の調査および振興(四)

 数歩前を歩く背中がいつもより小さく見える。豊かな亜麻色の髪から覗く長い耳が力なく垂れ下がっている。


 ハーフエルフの魔術師プラタレーナ、プラたんは普段から無口で無表情な子だけれど、付き合いが長い私は顔色や耳の向きで感情の動きを知ることができる。

 大丈夫、心配いらないという言葉とは裏腹に、心は深く傷ついているに違いない。


 その原因を作ってしまったのは私だ。

『亜人種自治区における産業の調査及び振興』。以前から楽しみにしていた任務にようやく着手できたというのに何ら得るものは無く、ただ大切な友人を傷つけただけ。

 淡々と歩を進める彼女に掛ける言葉も見当たらず、私にできるのは深い森に一筋だけ刻まれた傷跡のような獣道を黙々と歩くことだけだった。




 だからその出来事は、もしかすると私にとって降って湧いた幸運だったのかもしれない。重苦しい沈黙を切り裂く甲高い悲鳴に私達は足を止め、顔を見合わせた。


「なに今の?どこから?」


「……上!」


 鷲獅子グリフォンわしの翼と獅子の身体を持つ奇怪な魔獣が空を舞い、頼りなく羽ばたく小さな影を追い回している。遠くてよく見えないが、襲われているのは翼人族ハルピュイアだろうか。山岳地帯や深い森に棲み、その歌声で男性を魅了し子を成すという亜人種。


「私が気を引くから!プラたんは隠れてて!」


「……ん、気を付けて」


「天にあまねく光の精霊、我が意に従い彼の者を撃ち抜け!【光の矢ライトアロー】!」


 破壊魔術の基礎である【光の矢ライトアロー】は、光の精霊を矢の形に集約して放つだけの単純なもの。消耗が少なく発現が早い反面、威力にはやや欠ける。

 ましてやこの距離では途中で拡散・減衰してしまい、とても有効打にはならないだろう。やはりと言うべきか、白く輝く一筋の矢が鷲獅子グリフォンの巨体の中央に吸い込まれたが、さしたる効果は無く多少の羽毛を散らすにとどまった。


 でもこれで良い。空を舞う魔獣の目玉がこちらを向き、翼を傾けて弧を描くように迫ってきたから。


「来い!」


 剣を抜き、陽光を反射させて挑発する。直線的な動きを避けて上空で旋回するのは、この魔獣が高い知能を持っていることを示している。こちらの破壊魔術を警戒しているのだろう。


 私の挑発に応えたわけでもなかろうが、不意に旋回が止まり直上から巨体が降って来た。地響きを立てて落下するそれを草の上に転がってかわしたものの、すぐに鋭い鉤爪かぎづめが迫る。大木の幹に隠れて難を逃れたが、恐ろしげな擦過さっか音とともに樹皮がべろりと剥がれた。


 間髪入れず巨大なくちばしが落ちてくる。こんな大質量を細身の剣で受け止めることはかなわず、ただ身をかわすだけ。空を舞う鷲だけでなく獅子の柔らかな俊敏さ、おまけに鋭い複数の武器を備えるとは厄介極まりない。


「……草木の友たる大地の精霊、その長き手を以て彼の者を戒めよ。【根の束縛ルートバインド】」


 隠れていたプラたんの詠唱が終わると、不意にその巨体が動きを止めた。獅子の足に無数の根やつるが巻き付き、もがくほどに食い込んでいく。それは魔獣の足から腹へ、背へと広がり、獲物を捕えた蜘蛛くもの巣のように絡みついていった。


「……ふう。少し、疲れた」


 少しどころではないだろう。大木の陰から姿を現したハーフエルフの魔術師は、一目でわかるほど消耗していた。

根の束縛ルートバインド】自体は土系統の初級魔術だが、魔獣の全身を覆うほどの植物を操るとなれば上級魔術並みの魔素を消費してしまう。しばらくは基礎魔術を使うことさえ困難だろう、できれば安全な場所で休息をとって……


「助かったよ、プラたん。まずは休んで……いや、逃げよう!」


 ぶちぶちと植物がちぎれる音、次いで怒りの咆哮ほうこうが上がった。束縛から逃れた魔獣はさらに激しく転げ回り、木にぶつかっては四肢を振り回し、低木がぎ倒され土埃が舞う。私は鷲獅子グリフォンにとどめを刺すどころか近づくことさえできず、プラたんを抱えてその場を離れることしかできなかった。




「ユイちゃん、あそこ」


 プラたんが指差す先では、翼人族ハルピュイアの子供が木の根元に座り込んでいた。背中の翼が大きく切り裂かれ、背にも胸にも傷を負っている。おそらく鷲獅子グリフォンに襲われていたのはこの子だろう。


「大丈夫?いま手当てするから……」


「―――!―――!!」


 だが歯を剥きだし、甲高い声でこちらを威嚇する。翼人族ハルピュイアの言葉はわからないけれど、「来るな」と言っていることくらいは理解できる。


 代わりにプラたんが話しかけると途端に素直になり、薬を塗り包帯を巻くことができた。ただ私が手伝おうとするとすぐに警戒して身構える有様で、手当が終わるまで黙って見守るしかない。




 エルトリア王国南東部、深い森が広がる亜人種自治区。

 この地ではよほど人族ヒューメルが嫌われているようだ。

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