亜人種自治区における産業の調査および振興(二)

 大木の股の上に作られた小屋。ハーフエルフの魔術師プラタレーナ、プラたんの家はそう表現するしかないものだった。


 地面から床までの高さは私の身長の三倍はあるだろうか。石造りの建物をことごとく緑が飲み込んだような村を見下ろすのはながめが良いとも言えるが、怖さの方を先に覚えてしまう。

 床の隙間から地上を歩く人々の頭が見えているし、ここまでたどり着くにも粗末な梯子はしごつるにしがみついてようやく登ってきたくらいだ。私も人族ヒューメルとしてはかなり身が軽い方だと思うが、ここでの暮らしに慣れるにはかなりの時間がかかりそうだ。


「プラたん、こんな高いところで平気なの?」


「……ん」


森人族エルフの集落もこんな感じ?」


「……そう」


「へえ~、楽しみだな。明日は案内よろしくね」


「……ん」


 別に機嫌が悪いわけではない、軍学校で一緒だった頃も彼女は非常に無口だった。私との再会を喜んでくれているのは頬が微かに染まっていることと、長い耳が忙しく上下していることで分かる。それほど私達は同じ時間を過ごしてきた。


 でも、と私は少し気になった。先ほど学校で見た彼女は言葉こそなまっていたが表情豊かで楽しそうだった。私と再会した途端に元の硬い口調に戻ってしまうのは少し寂しい気もする。


「ねえプラたん、私には普通にしゃべっていいんだよ?」


「先生だから、正しい発音、する」


 そういう事か。真面目なプラたんらしい。


 この村には様々な種族が暮らしており、意思の疎通には人族ヒューメルの共通語を使っているのだが、それぞれ声帯の造りが違うため言葉を聞き取りにくいことがある。純粋な人族ヒューメルと話すことが少ないため、私との会話で共通語の練習をしているのだろう。


 ところで。夕食として握りこぶし程度の大きさの果実を一つもらったのだが、短い会話のうちに食べ尽くしてしまった。学生時代から小食な子ではあったけれど、これほど食事の量が少ないと心配になってしまう。


「夕食はいつもこんな感じ?」


「ん。もう一つ、食べる?」


「ううん、いいよ。色々持ってきてるから」


 私の背負い袋には小分けされた携帯食料や保存食が入っているし、いくつかお土産も用意してきた。王都の有名な焼き菓子、港町で買った乾燥させた貝柱。そして最後にハバキア帝国産の果実酒を取り出すと、プラたんの長い耳がぴん!と立った。


「おおー!」


「リンゴのお酒、好きだったでしょ?前にみんなで飲んだやつ」


「うん!」


 とがった耳が二度、三度とせわしなく動く。以前カチュアの家を訪ねた帰りに買い求め、女子寮のいつもの四人で飲んだリンゴ酒。プラたんはこれをいたく気に入ったようで、その日は頬を染めつつ珍しく故郷の歌など披露したものだ。


 お酒に弱いプラたんは両手でカップを抱えて少しずつ大事そうにすする、私にはその小さな猫型のマグカップに見覚えがあった。


「あ、それ!卒業制作のやつだね?」


「ふふ。お気に入り」


 白地に茶と黒のまだら模様、把手とっての部分は長い尻尾。目の部分にめ込まれた猫目石の光量で中身の温度がわかるという品で、丁寧で可愛らしい造形は魔術科の卒業制作としての評価以上に評判が良かったものだ。




 時間をかけて果実酒を味わったプラたんはカップを手にしたままふらりと立ち上がり、窓際……と言ってもガラス窓などまっていないのだが、四角く開いた夜空に向けて小さな唇から旋律をかなではじめた。


『その黒髪もいつしか白く その黒いまなこもやがて閉じ 誰もがあなたを忘れたとしても……』


 私も聞いたことがある。長命種の女性が人族ヒューメルの若者に恋をする、エルトリア王国民であれば誰もが知っているほど有名な歌だ。


 繊細で綺麗な歌声。だが木々のざわめきも鳥のさえずりも無いこの静かな夜では村じゅうに聞こえてしまう。周りに迷惑ではないかと心配したものだが、それは杞憂きゆうというものだった。足元から別の歌声が聞こえてきたからだ。


『私は想い 歌い続ける この大河がれるまで この木々がちりになるまで』


 幼い歌声、野太い酔声、控えめな旋律。それは星明かりに照らされた家々に広がり、数を増して流れていく。いつしか私も誘われるように窓に向かい、うろ覚えの歌詞を口ずさんでいた。


『いつの日か私も この風となって旅立つ あなたの元へ』


 やがて歌声が途切れると、村の各所から「乾杯プロシット!」という声が上がった。


 そうか。きっとこの村では、いや、もしかするともっと広い世界では、これが当たり前の光景なのかもしれない。私が普通だと感じていたものは世の中の常識でも何でもなく、勝手にそう思い込んでいただけだ。この広い世界を隅々まで感じるという夢の欠片の一つは、こんなに近くに落ちていたのだ。


乾杯プロシット。大切な友達に」




 私が持つ武骨な木杯と、プラたんの可愛らしいカップが小さな音を立てた。

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