最果ての魔術師(五)

「いいえ、私は……魔術師です!」


『領主様』の手を振り払い、飛びのくと同時に左手を一振り。兵士の一人を【苦痛ペイン】の魔術でひるませ、隣の兵士の利き腕をめて剣を手放させる。これは夏合宿でカチュアに教えてもらった体術だ。


 残りの四人はといえば剣を構えたまま顔を見合わせるだけ。思った通りだ、この人達はただの村人であり、専門の兵士ではない。手に武器を持っているからといって簡単に相手を傷つけられるものではないはずだ。


「ちっ、役立たずどもが!」


 だが『領主様』の行動は私の想定を超えていた。精巧な装飾が施された長杖ロッドを手に短く詠唱、私と揉み合う兵士に構わず【暗黒球ダークスフィア】の魔術を放ったのだ。


「我が内なる生命の精霊、来たりて不可視の盾となれ!【魔術障壁マジックバリア】!」


 寸前で展開された障壁に漆黒の球体が弾け、轟音とともに消滅した。


 衝撃の余波で少々の擦り傷を作ったが大したものではない、それよりも私の前にいた兵士が腰を抜かして崩れ落ちてしまった。たいした怪我ではないはずだが、至近距離からの魔術、それも主君と信じていた男からの破壊魔術で肝をつぶしたのだろう。


「大丈夫ですか?私の後ろへ」


「は、はい」


 今度は敵に助けられ、どうしたら良いものかわからないという表情。彼らの主君は味方を巻き込むことに躊躇ためらいが無いようだ、これではもはや他の兵士も私に手を出せないだろう。


「媒体も無しに良く防いだ。だが次はどうかな?」


『領主様』フレッソの頭上に、三個の【暗黒球ダークスフィア】が浮かんだ。


 先程の破壊魔術の威力から見て、魔術師として彼の能力は私を上回るだろう。夜に威力を増す闇系統の魔術に対して、こちらは多くの魔術師が媒体とする杖も、愛用の細月刀セレーネも無く、さらには敵であるはずの兵士達も守らねばならない。


「我が内なる生命の精霊、来たりて不可視の盾となれ!【魔術障壁マジックバリア】!」


「ははははは!そんなもので俺の魔術を防げるものか。消えてなくなれ!」


 高く広い謁見の間を揺るがして再び障壁に闇色の球体が弾ける。一つ、二つ、三つ。彼の言う通り私が媒体を持っていなければ障壁は粉砕され、兵士ともども致命傷をこうむっていたかもしれない。

 だが彼は知るまい、私が魔術の媒体としているのは奪われた杖ではなく、左手小指に鈍く光る真銀ミスリルの指輪だ。三個の【暗黒球ダークスフィア】は私に多少の裂傷を負わせるにとどまった、そして。


「来い!【剣の舞セイバーダンス】!」


 兵士の一人が持っていた私の細月刀セレーネが自らの意思を持つように鞘から抜け、抜き身でこの手に戻ってきた。これは宿で主人に手渡す前に仕込んであった魔術。


 親友から授かった剣を両手に持ち替え振り下ろす。赤毛の魔術師が作り出した【物理障壁フィジカルバリア】に致命的な亀裂が走る。


「ちいっ!俺は、俺はこんな所では終わらんぞ!」


「言い訳は王都でしなさい、フレッソ・カーシュナー!」


 苦しまぎれの【暗黒球ダークスフィア】を真二つに切り裂き、体重を乗せて術者を蹴り飛ばす。窓際まで転がった『領主様』を壁に縫いつけんと銀色の切先を突き出す。


「待て!お前は【転生リーンカネーション】の秘密を知りたくないか!」


 僅かではあるが赤い絨毯じゅうたんを蹴る足が鈍り、虚しく剣先が空を突いた。あからさまな命乞いに足を止めてしまったのは何故だろう、今さら辛い前世のことも、過去のことも気にならないはずなのに。

 一瞬生まれた隙に身をひるがえし、開け放たれた窓から身軽に飛び出す赤毛の魔術師。その姿はすぐに闇に溶け込んでしまった。


「しまった……」


 逃げられた。そのつぶやきは自分に対する言い訳だったかもしれない。逃げられたのではない、思わず逃がしてしまったのだから。




 フレッソ・カーシュナー、彼と私は似ている。


 同じようにこの世に生を受け、幸薄い幼少期を過ごし、魔術という力を身に着けて世に出た。もし私が今の両親やレナータさん、フェリオさんと出会わず、救いの手を差し伸べられることなく人の悪意にまれていたら。暗い感情に捕らわれ、報われることなく恨みをつのらせていたら。彼と同じ道をたどっていたかもしれない。


 優しい人々や大切な友達と出会って『この世の隅々まで見届ける』という夢を抱くに至るか。


 誰も信じられず野心のみを膨れ上がらせ『この世の全てを手に入れる』という野心を抱くに至るか。


 彼と私の違いはほんの少し、たった一つボタンを掛け違えただけなのかもしれない。

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