最果ての魔術師(一)

 エルトリア王国の巡見士ルティアとなって半年、見えてきたのはこの国の現実だった。


 アカイア市冒険者ギルドの怠慢に始まり、半獣人や亜人種との不平等交易、居住地域による貧富の差、既得権益層の妨害による産業の停滞。

 かつて思い描いていたような、見知らぬ地を巡り、幻想的な光景に胸躍らせ、異種族の文化に触れ、それらを書き記すような任務はほとんど無かった。


 少しでも現状を改善しようと動いても新人だからと握りつぶされ、溜息ためいきをつきながら配慮だらけの無難な報告書をまとめる。忘れかけていた前世をわざわざ思い出させるような日々が続いた。


 だがしかし、この半年間の任務報告を終えた私はいよいよ単独行動を許される。いくつかの候補地から訪問先を選ぶことができるし、調査の方法も個人に任される。条件さえ満たせば海をへだてた異国にも、人跡未踏じんせきみとうの地にも向かう事ができるのだ。その中で私が選んだ任地は……




「メルケ村?もうすぐそこだよ。このまま道沿いに向かえば着くよ」


「そうですか。ありがとうございます」


 王国北西部、メルケという名の最果ての村だった。


 私達が住むエルトリア王国の東側は強大なハバキア帝国に接しており、南側には大海が広がっているが、北と西の国境は定められていない。北は万年雪の霊峰が連なり、西は蛮族や妖魔が巣食う昼なお暗い魔の森であり、ともに人族ヒューメルの侵入を固くこばんでいるから。


 ただ私がここを選んだのは、最果ての村だからでも魔の森に興味があるからでもない。村の指導者を名乗る魔術師に心当たりがあるためだ。




 左右に雑草と雑木が迫り、もはや道とも言えない荒れた地面がどこまでも続く。鳥なのか獣なのか判別できない奇怪な鳴き声がいつまでも追いかけてくる。

 この道は本当に人里に続いているのだろうか、もしかして既に魔の領域に踏み込んでしまったのではないだろうか……


 そのような夢とうつつの境目のごとき風景が、不意に途切れた。整然と区画分けされた麦畑、丁寧に刈り込まれた畦道あぜみち、透き通る水をたたえた水路、豊かにこうべを垂れ収穫を待つばかりの稲穂、真新しい看板に大書された『メルケ村』の文字。そのいずれもが最果ての地にはふさわしくないほどの文化水準を示していた。


「おばあちゃん、良かったら荷物持ってあげようか?」


「あら、ありがとう」


 村に入るなり、農作業をしていた男の子が声をかけてきた。擦り切れた服に汚れた髪、身なりはあまりよろしくない。もしかすると私の荷物が目当てかもしれないとも思ったが、この子が荷物を奪って逃げたところで身体能力と魔術でどうにでもなる。


 それよりも、中年から老年にさしかかった白髪の薬師くすしという変装が上手くいっていることに自信を深めて、この子に話を聞いてみることにした。


「ずいぶん綺麗な村だねえ。誰か立派な人が治めているのかい?」


「う、うん。領主様は何でも知ってて、魔術も使えるすごい人なんだ」


「そうかい。領主様のお名前は?」


「フレッソ様だよ!」


 やはり。眉目秀麗びもくしゅうれいな若い赤毛の魔術師と聞いて真っ先に彼を思い浮かべたものだが、間違いないようだ。




 フレッソ・カーシュナー。ジュノン軍学校の先輩であり、おそらくは私と同じ前世の記憶を残している男。ただその人柄は自信過剰な上に軽薄で、在学中は多数の女生徒と浮名うきなを流していた。


 今回の任務も『最果ての村メルケにて、領主を自称する魔術師が領民をしいたげている』という告発を受けての調査であり、このような事情がなければ関わりたくない人でもある。


「領主様は最近この村に来たのかい?」


「えーと、二年くらい前かな。それから急に村が立派になったんだよ」


「そうかい。すまないね、お仕事の邪魔をしてしまって」


「いいんだ!ちょうど休みたかったから」


 男の子は私の大きな荷物を背に、屈託くったくなく笑ってこちらを見上げた。このような子供の純真さを利用して情報収集を行っていること、自分の姿形を偽っていること、荷物を持って逃げるのではと疑ってしまったこと、三重に罪の意識を覚えてしまう。


「ほら、あの銅像の人が領主様だよ」


 立派な邸宅の門前、見覚えのある若い男の胸像が鎮座していた。


 以前私が壊してしまった女神像よりも精巧で大きく新しい、これほどの像を建てるには一体どれくらいのお金が必要になるだろう。さらに余計なことを言わせてもらえば、家の前に自分の銅像を建てるという感覚が理解できない。


「おい、お前。農作業はどうした」


「あっ!」


 私としたことが、突然の出来事に一歩も動けなかった。私の荷物を背負った男の子は悲鳴を上げる間もなく門番の兵士に蹴り飛ばされ、地面に這いつくばった。小分けした薬草の束、薬箱、背負い袋の中身がいくつか路上に散らばる。


「ごめんなさい、ごめんなさい!」


「何度言ってもわからんか、いやしい二級村民が!」


 男の子が何度も足蹴あしげにされるところに割って入っても兵士は動きを止めず、私も二度ほど脇腹を蹴られることになった。老婆の姿をしていれば暴力は振るわれまい、などという考えが甘かったのかもしれない。


「申し訳ありません、この子は私の荷物を持ってくれたんです」


「貴様は何者だ。この村に何をしに来た」


「旅の薬師くすしでございます。徳の高い領主様の噂を聞いて行商に参りました」


「ふん。妙な真似をすれば命は無いぞ」




 頭を小突かれて追い立てられる少年を見送りつつ、地面に散らばった荷物を拾う。その老婆の姿をした私を、爽やかな微笑を浮かべた領主様の銅像が見下ろしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る