第三次カラヤ村防衛戦(一)

 五十日間の研修を終え、晴れて巡見士ルティアとなった私の胸元には、銀製の身分証明プレートが光っている。


 一般には知られていないが、しかるべき場所でこのプレートを示せばエルトリア国内において様々な恩恵を受けることができるそうだ。各地の領主に宿や食事を提供してもらうこともできるし、厳重に警戒された軍事施設や魔術の研究施設などに立ち入ることもできる。権限だけで言えば正騎士よりもはるかに広いと言って良い。


 それから金糸で刺繍が施された深緑色の士官服、支度金の五十万ペル。

 軍学校の学費十万ペルさえ借金で工面くめんした私がこんな大金を手に入れても実感が湧かないのだが、実は大半の使い道がもう決まっている。一番の恩人である今の両親はどうしてもお金を受け取ってくれなかったので、最初の使い道はこれになった。




 カラヤ村に一つだけの教会で私は、髪の毛で視界が塞がれるほど頭を下げた。老婆といえる年齢ながら背筋の伸びた司祭様は困ったような、優しそうな微笑を浮かべてくだんの品を受け取ってくれた。


「本当に申し訳ありませんでした」

「あなたのおかげでみんな助かったのよ。気にしなくていいのに」

「でも壊してしまったのは事実ですから」


 運命の女神アネシュカ様の銅像。村が妖魔の群れに襲われたとき、教会の入口にあったそれを鈍器として使ってしまったのだ。その際に台座は抜け飛び、手足は折れ、小鬼ゴブリン食人鬼オーガーの返り血にまみれた女神像は、捨てるわけにもいかない奇怪な金属棒と化して倉庫に保管されていた。今回これを元通りに修復してもらったのだ。代金は二十万ペル。


 ようやく胸のつかえが一つ取れたが、これだけでは終わらない。お世話になった人達や迷惑をかけてしまった方々に少しでもお返しをしなければ。




 次の目的地はアカイア市。私の出身地であり、巡見士ルティアとして最初の任地となる大都市だ。あまり良い思い出のない町だけれど、恩を返さなければならない人もいる。


 遠目にも目立つ銀色の髪を布で包み、枯葉色の地味な上衣カーディガンを羽織って市街地の喫茶店へ。私は数年前とは顔つきも体つきも別人のように違うはずだけれど、この町には前の両親が住んでいるし、他にも私に恨みを持つ人がいる。用心するに越したことはない。


 肌寒さを我慢して屋外席から冒険者ギルドの入口を見ていると、夕刻になってようやく目的の人物が姿を現した。重ね着をしても豊満さを隠しきれていないその人に向けて声を掛け、控え目に手を振った。


「レナータさん!」

「ユイちゃん!?だよね……?」




 暖かい室内に場所を移し、頼んだ飲み物が届くのを待つ間に少しだけ近況を伝える。


巡検士ルティアですって!?ユイちゃんが!?」

「はい」


 周囲に視線を送って小さくうなずく。湯気が立つ珈琲コーヒーが運ばれてきて、腰下だけのサロンエプロンを身に着けた店員さんが遠ざかると、レナータさんが身を乗り出した。

 驚くのも無理はない。飢えて裏切られ死にかけて町を逃げ出した子供が、二年余りで騎士階級になり戻って来たというのだから。


「あれから一体何があったの?」

「ええとですね……」


 とても簡単に言い表せるような経験ではなかったが、かいつまんで説明する。逃げ延びたカラヤ村で新しい両親に引き取られたこと、偶然の出会いが重なって学費を工面くめんできたこと、軍学校で魔術と剣術を学んだこと。


 我ながらよく生き延びたしよく学んだと思うけれど、自分の力だけではここまで来れなかったに違いない。私に未来を与えてくれた方々に少しでも恩を返したいと思う、例えば目の前のこの人だ。


「そうだったの……」

「レナータさんのおかげです。迷惑をおかけしたままで申し訳ありませんでした」

「そんな事ないよ。本当に良かった、生きていてくれて」


 レナータさんは鞄から白いハンカチを取り出して目の端をぬぐった。


 私はこの町に住んでいた頃、名前の無い存在だった。両親も雇い主もみな「おい」「こら」「おまえ」「あいつ」などと呼ぶ世界の中で、名前を呼んでくれたのはレナータさんだけだった。この人は幸薄い子供の私を助けるために手を尽くしてくれた。


 なのにあの時、迷惑をかけたまま逃げ出すしかなかった。無力な自分がずっと悔しかった。少しでも恩を返したいのだけれど、今日の用件はもしかすると意趣返しになってしまうかもしれない。




「レナータさんの方はお変わりありませんか?」

「そうねえ、変わりようがないかしらね」


 相変わらず重そうな胸をテーブルに乗せて溜息をつく。あのラミカをさえ上回る胸囲は二年が経っても健在のようだ。


「実はそのことでお願いがあります」


 胸のことではない。冒険者ギルドについていくつか確認したいこと、お願いしたいことがあるのだ。それらを話し終えると、豊満な美女の鼻息が荒くなった。


「なんだか恩を仇で返すようで申し訳ないのですが……」

「いいえ!私もこれじゃいけないって思っていたもの。ぜひ協力させてもらうわ」

「ありがとうございます、それからもう一つ。あの子は今どうしていますか?」

「あの子?」


 名前を告げると、レナータさんはすぐに思い出してくれた。良かった、心配していたが存命のようだ。


「あの子は悪くない、なんて言えないけど、事情はんであげてくれない?」

「あ、違うんです。根に持ってるわけじゃなくて、何とかしてあげたいと思って」

「そう。あの子は今ね……」




 初任務が始まるまであと十日。巡見士ルティアとしての仕事を始める前に済ませておかなければならない事が、この町にはいくつも残っている。

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