魔術師の卵(二)

 水桶、ごみ箱、水溜まり、木箱、障害物だらけの路地を駆け抜ける女の子の身軽さは尋常ではなかった。このような道に慣れていることもあろうが、あっという間に駆け去る加速力も軽々と塀を飛び越える跳躍力も、到底子供のそれではない。


「内なる生命の精霊、我に疾風のごとき加護を。来たりて仮初かりそめの力を与えたまえ。【身体強化フィジカルエンハンス敏捷アジリティ】!」


 小さな影を追って朽ちかけた塀を飛び越えると、硬そうなパンを一つだけ抱えた女の子が驚いたように振り返り、別の路地に飛び込んだ。先程よりもさらに狭い雑草だらけの細道を子兎のように跳ねていく。


 やはり【身体強化フィジカルエンハンス】の魔術を使っているのだろうが、ならば私の方が素の敏捷性でまさっている。カチュアと共に鍛え上げた脚力で追いすがり十歩の距離まで迫ったとき、路地を抜けて広い場所に出た。


 高い建物に囲まれた十歩四方ほどの空間。その中央で苦しそうに息を切らせ、それでもまだパンを手放さない女の子。

 おそらく十歳前後だろうか、靴も履かず衣服は擦り切れ、白金色の髪は伸び放題。数年前の私のように貧相でみすぼらしい女の子は苦しそうに右手を掲げた、その上に白い光の矢が浮かぶ。


「止まれ!こっち来んな!」


 これには驚いた。詠唱した様子がない上に光の精霊の扱いもつたないが、紛れもなく【光の矢ライトアロー】の魔術だ。むしろ詠唱も媒体も無しに魔術を発現させた事がこの子の才能を物語っている。


「あなた、お名前は?その歳で魔術が使えるなんてすごいね」

「黙れ!こっち来んなって言ったろ!」

「それは【光の矢ライトアロー】の魔術だよね。誰に教えてもらったの?」

「撃つぞ!ほんとに撃つぞ!」


 ゆっくりと近づく私に対して女の子は同じ距離を後ずさるだけで、掲げた右手も震えている。おそらく人に向けて破壊魔術を撃ったことなど無いのだろう、まだ重い罪を犯してはいないはずだ、と少し安堵あんどする。


「怖がらなくていいよ。少しお姉さんとお話しよう」

「撃つぞって言ったからな!言ったからなぁ!!」


 何度も警告した上に目をつむって、しかも怪我をしないように足元の地面を狙ってくれるとは優しい子だ。


「我が内なる生命の精霊、来たりて不可視の盾となれ。【魔術障壁マジックバリア】」


 女の子から放たれた光の矢は虹色の障壁に阻まれ、無数の光の欠片となって消滅した。呆然と立ち尽くす女の子の足に木の根が絡まり、膝から腰、胸へと巻き付いてその身を封じていく。

根の束縛ルートバインド】の魔術で小さな魔術師を捕えた私は、その肩を軽く叩いた。


「捕まえた。私はユイ、軍学校で魔術を学んだ魔術師だよ。あなたのお名前は?」

「……エリューゼ」



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