第三章 エルトリア王国巡見士

魔術師の卵(一)

「ユイ・レックハルト、なんじ巡見士ルティアに任じる」


 陽光降り注ぐ謁見の間。文武百官が立ち並ぶ中、真新しい濃緑色の軍服に身を包んで深紅の絨毯にひざまずき、国王陛下の剣の平を肩に受ける。私の夢の一つが叶った瞬間だった。




 エルトリア国王ベルナート陛下は四十九歳と聞いていたが、姿も動作も若々しく力感に溢れている。在位十一年、治安は安定し異種族に寛容、境を接するハバキア帝国との関係も良好。これだけでも名君と呼ぶに足る人物と言えるだろう。


 このたび巡見士ルティアとなった者は二名、一代騎士エクエスとなった者は六名。


 この叙任式の際に行われた親指を針で傷つけ母印を押すという儀式は、青い血液を持つ以外には人間と見分けがつかない魔人族ウェネフィクスが国政の中枢部に入り込むのを防ぐためだという。




 新しく公職に就く者には、王宮近くの練兵所にて五十日間の研修が義務付けられる。


 全職に共通の科目は、法律、礼儀作法。

 武官に共通の科目は、馬術、生存術、武術、部隊指揮など。

 巡見士ルティア独自の科目は、地理、薬学、情報収集術など。


「おや?君は確か……」

「あ、ルッツさん!やはり合格されたんですね!」


 その研修の席で、武術試験で相対したルッツさんと再会した。


 とある事情で騎士資格を剥奪され妻を失ったと聞いていたが、一代騎士エクエスとなることで名誉回復の機会が生まれるだろうと張り切っている。私が見るところ人柄、武術、知識、どれをとっても一流の人物に思える。騎士資格剥奪に至った経緯は気になるけれど、おそらく軽々しく聞いてはいけないものだろう。


 そうかと思えば、どう見ても公職に就くのは適当でないと思えるような人物もいる。


「またどこか痛めたんですか?」

「あー。まあ、ちょっと腰をね」

「今度は本当ですか?」

「いや、膝だったかもしれん」


 にやけた笑いを浮かべつつ細長い体を折り曲げるのは、唯一の巡見士ルティア同期であるミハエルさん。飄々ひょうひょうとして掴みどころがなく、現れたかと思えば消えている。厳しい訓練はさぼっているくせに、他で優れた結果を出して帳尻を合わせる。

 もしかすると危険を冒して国内外の情勢を探るという任には適しているかもしれないが、扱いにくい人物であることは間違いないだろう。


 ちなみに巡見士ルティアの登用は十七歳の私が歴代最年少、三十一歳のミハエルさんが歴代最年長との事だった。




 連日の研修は中身が濃い上に未経験の事も多いけれど、巡見士ルティアとなった充実感と高揚感のためかそれほど疲労は感じない。

 期間中は練兵所に寝泊まりするため食事の心配は無いが、夕食時や休日にはできるだけ外出するよう心掛けている。もちろん気晴らしの意味もあるが、国内外の情勢を探るという職務の性質上、街の雰囲気や市民の暮らしを自分の目で見ることが重要と考えたためだ。




 七日に一度の休日、この日私が訪れたのは王都の外れにある貧民街。初めてこの町を訪れた日、夜の中に浮かび上がるきらびやかな王宮と、薄暗い路地で天幕を屋根代わりに暮らす人々との落差があまりに印象に残っていたのだ。


 とはいえ、排他的な貧民街に簡単に足を踏み入れるわけにもいかない。近くで買い物をして店の人に話を聞いたり、路地を横目で見ながら街路を歩いたり。研修で習ったばかりの情報収集術ではこの程度が精々せいぜいだ。


「泥棒だ!」


 その声に振り返ると、通り過ぎたばかりのパン屋さんから小さな人影が駆け出すのが見えた。


 咄嗟とっさにそれを追いかけたのは、あまりにその影が素早かったからだ。小さな子供のような盗人は追いすがる人々を小馬鹿にするような敏捷性で路地を駆け抜け、大人の背丈よりも高い塀を軽々と飛び越えてその奥に姿を消した。


「亜人種?いや、【身体強化フィジカルエンハンス】の魔術?」


 貧相な体、ぼろぼろの衣服、そしてつたない魔術、まるで子供の頃の私のようだ。公職に就く者としての責任感よりも個人的な興味に引かれて、私は小さな影を追うことにした。

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